過去の議論
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/03 04:25 UTC 版)
「米中間における軍事的衝突の潜在的可能性」の記事における「過去の議論」の解説
1950年から1953年の朝鮮戦争は事実上の米中両国の初の軍事衝突であり、中国はアメリカ軍主体の国連軍による自国領土への攻撃の波及を恐れ、アメリカと中国が交戦したことで全面戦争の可能性が最も高まったが、実際には中朝国境を越えることは無く、中国は朝鮮戦争へ「人民義勇軍」の名目で参戦していた。 ベトナム戦争の間、毛沢東を初めとする中国の指導者は、アメリカのベトナムにおける戦略を大規模な核戦争の序章であると考えていた。1960年代を通して、中国海軍と中国空軍は中国領空を侵犯したアメリカ軍機と衝突した。 アメリカ軍の爆撃機が北ベトナムの6つの海軍基地を攻撃した後、1964年8月5日、周恩来と羅瑞卿は北ベトナム大統領のホー・チ・ミン、首相のファム・ヴァン・ドン、軍幹部のヴァン・ティエン・ズンと会談し、両国はアメリカの脅威に対抗するため軍事協力を行うことを約束した。その晩、中国海軍、空軍及び北京軍区の首脳が集まり、緊急ミーティングを開いた。彼らは北ベトナムでの爆撃が直ちに(アメリカとの)戦争を意味するわけではないが、(アメリカ軍の軍事的)脅威が増し広州や昆明の軍隊が警戒態勢に入る必要があるという結論に達した。1965年に調査が行われ、その年の8月24日に発売された朝日新聞は、日本人の半分以上である57%がベトナム戦争が米中戦争へエスカレートすることを恐れているという記事を掲載した。しかし、実際にはアメリカのリチャード・ニクソンと中国は対ソ利害で一致したため、1972年にニクソンが訪中し、米中国交樹立が図られた。
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