連携の解消
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/13 00:08 UTC 版)
ところが自由主義系会派による介入が大連立解消の唯一の理由ではなかった。実際に左右が連携して政策執行にあたっていたサンテール委員会が総辞職したことが最大の原因であった。当初、欧州委員会の財務に対する調査が行なわれていたが、これはおもに欧州社会党系のエディット・クレッソンとマヌエル・マリンを対象としていたものであった。欧州社会党はサンテール委員会を支持しており、この問題を1999年の選挙に向けた欧州人民党による欧州社会党への攻撃と見ていた。欧州議会が委員会による予算案を否決しそうになると欧州委員会委員長のジャック・サンテールは、予算案に対する反対は委員会に対する不信任決議の採択に等しいと述べた。欧州社会党グループ代表のポーリン・グリーンは欧州委員会に対する信任決議の採択を試みたものの、欧州人民党は不信任決議案を提出した。このやり取りがなされた期間は、両会派が与野党に分かれたかのようなかたちで争われた。つまり欧州社会党が執行機関である欧州委員会を支持し、欧州人民党がそれまでの連立関係を破棄して欧州委員会が提出した予算案を否決したのである。 2004年になるとふたたび大連立の関係がほころぶということが起きた。これはバローゾ委員会の発足にあたって、欧州委員会の司法・自由・安全担当委員に指名されたロッコ・ブッティリョーネをめぐって起こったものである。欧州人民党はブッティリョーネの指名に賛成した。その一方で欧州社会党は、当時委員長候補だったジョゼ・マヌエル・ドゥラン・バローゾの指名にも反対していたが、ブッティリョーネを新委員会人事案からはずすことを求め、議会委員会において人事案の承認を拒否した。新欧州委員会の人事案が拒否されたのはこれが初めてであった。バローゾは新委員会人事案を支持していたため譲歩を渋っていたが、欧州社会党はバローゾの態度に反発した。欧州人民党はブッティリョーネをはずすのであれば、均衡を図るために欧州社会党所属の委員候補を1人減らすよう求めた。最終的にはイタリアがブッティリョーネを取り下げ、かわりにフランコ・フラッティーニを出すことで欧州社会党の支持を得ることに成功し、予定から遅れたもののバローゾ委員会が承認された。これまで述べてきたような政治上の対立関係が起こることは増加してきており、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスのサイモン・ヒックスは、「われわれの研究では、欧州議会における政治はますます政党やイデオロギーを中心としたものになりつつあることを示している。票決では左派・右派によって対応が分かれるということが増えてきているうえ、政党・会派の結合は、とくに1994年以降から飛躍的に強化されてきている。そして政策の実行においても同様のことがいえる」としている。
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