農民たちの反抗と徴発強化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 15:22 UTC 版)
「ホロドモール」の記事における「農民たちの反抗と徴発強化」の解説
一方で、村人、農民たちの反抗も起きた。1928年6月、三人の「クラーク」によってロシアのイヴァノヴォの党書記が殺害される事件が起きた。10月にはコストロマーでコルホーズ議長や活動分子が射殺され、12月にはペンザで村ソビエト議長が殺害された。1927年から1929年にかけて、およそ300人の徴発員が殺害された。 ウクライナでは1929年に1262件の「クラークによるテロ」が発生した。ロシアではテロ事件が1002件発生し、384人が殺害された。3281人が有罪となったが、そのうち富農は1924人 (31.2%) で、1896人が中農、296人が貧農、67人が役人だった。富農も中農も貧農も農民たちは、穀物を荒れた土地や干し草のなかに隠したり、谷や森に埋めた。 1929年6月28日の法令で、農民は徴発義務を果たさなければ、罰金や財産没収が課せられるようになり、多くの農民が都市へ流出した。 シベリアでは1929年春までに、前年700万トンであったのが1900万トンと2.7倍の穀物が徴発された。 農民たちの反乱も続いた。1930年1月、ウクライナポルタヴァ州ビルキイ村で地元GPU主任が襲撃され、放火された。ウクライナではほかにオデッサ州、ヘルソン州、チェルニーヒフ州でも暴動が発生し、チェルニーヒフ州では地方の軍隊が反乱を支援したため赤軍正規軍が出動した。ウクライナでは4万人の反乱があったとされる。北カフカースのサリスク地区、シベリア、クリミア半島、アルメニア、アゼルバイジャンでも暴動が発生した。あるOGPU高官は、自分は革命と内戦で戦ったが、いまでは農民に対して発砲していると涙ぐんで語ったとアイザック・ドイッチャーは記録している。
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