農民から幕臣へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/06 04:08 UTC 版)
天保7年12月25日(1837年1月31日)、筑後国御原郡古飯村(現・小郡市)で庄屋・高松与吉の三男として生まれる。安政3年(1856年)、19歳の時に久留米藩家老・有馬飛驒の陪臣・川原弥兵衛の養子となり、農家の高松権平から川原荘三郎という武士となる。しかし養家の頽廃ぶりに嫌気がさし、安政6年(1859年)4月、24歳で脱藩した。兄・古屋佐久左衛門を頼って江戸に行き、医師を志すようになる。 まず、その当時、蘭方医(オランダ医学)として著名だった石川桜所の門下に入り、オランダ医学を徹底的に学んだ。その後、大坂に出て全国から俊才が集まっていた適塾に入塾し、緒方洪庵の指導を受けた。凌雲はここでも頭角を現し、西洋医学の知識のみならず、オランダ語を自由に操るまでになる。さらに、幕府が開いた英学所で学び、英語もマスターした。 慶応元年(1865年)、凌雲の学才を知った一橋家が、凌雲を一橋家の専属医師として抜擢する。ほぼ時を同じくして一橋家出身の徳川慶喜が第15代将軍となったため、凌雲は幕府から奥詰医師として登用されることとなった。九州の片田舎から出てきた農家の厄介者の三男が、わずか7年で将軍家のお抱え医師となったのである。
※この「農民から幕臣へ」の解説は、「高松凌雲」の解説の一部です。
「農民から幕臣へ」を含む「高松凌雲」の記事については、「高松凌雲」の概要を参照ください。
- 農民から幕臣へのページへのリンク