軍用地買い上げ問題
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/29 03:28 UTC 版)
1954年、アイゼンハワー大統領は年頭一般教書演説で「沖縄のアメリカ軍基地を無期限に使用する」と発言した。さらに3月18日、沖縄タイムスが「米軍当局は沖縄で45,000エーカー(約20,000ha)の土地を購入し、3,500家族の住民を八重山に移住させるための資金を獲得するだろう」というワシントン電の情報を報道した。この買い上げ計画に対して琉球政府行政主席であった比嘉秀平は賛意を表明した。一方で、立法院はこの計画に強い反意を示し、後に「軍用地四原則」と呼ばれる軍用地に関する請願決議を4月30日に可決した。「軍用地四原則」を簡潔に述べると以下の項目になる。 地代一括払い反対 適正補償 損害賠償 新たな土地接収反対 琉球政府は、行政主席の比嘉秀平とその秘書、大山朝常を含む立法院議員3人、軍用土地連合会の会長であった桑江朝幸からなる6人の代表団をアメリカ本土に派遣し、直接掛け合うことになった。しかし、アメリカ政府が調査団を派遣することが決まっただけで、特に大きな成果をあげることはできなかった。 1955年、軍用地問題を調査するためアメリカ政府は沖縄にプライス調査団を派遣した。1956年6月に、プライス調査団は地代の一括払いを勧告した。しかし、これが契機となって沖縄の56市町村で「反プライス勧告」の住民集会が開かれるなど、島ぐるみ闘争と呼ばれる大きな住民運動に発展した。このため、アメリカ政府は地代の一括払いを撤回し、軍用地使用料の引き上げで幕引きを図った。 このとき琉球政府の派遣した代表団は「全員地代一括支払い反対」で統一されていたと公式文書では示されているが、大山はこれを否定し、「自分以外は賛成であった」としている。1956年3月には第3回立法院議員総選挙が行われた。この選挙で大山は、自分自身を除く他の代表が「地代一括払い」について賛成したことを暴露した。この選挙で大山は、有力な対立候補であった民主党の桑江朝幸を破り当選した。この暴露が大山に優位に働いたと主張する論がある。一方で、選挙戦全般では保守系の民主党に追い風があったなかで、大山が当選を果たしたのは、中小土地所有農民の意向が反映された結果だとする論もある。
※この「軍用地買い上げ問題」の解説は、「大山朝常」の解説の一部です。
「軍用地買い上げ問題」を含む「大山朝常」の記事については、「大山朝常」の概要を参照ください。
- 軍用地買い上げ問題のページへのリンク