軍事教育制度の進化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/15 06:19 UTC 版)
戦争についての学術的な研究が発展するに従って、19世紀初頭から高度な研究を行う機関が求められるようになっていった。それは既にフランスやイギリスでも設置されていたような貴族出身の将校に初歩的な戦闘訓練をほどこすような学校や技術的能力を向上させるための砲兵学校や工兵学校とは全く異なる性格を持つものであった。1810年にシャルンホルストがベルリンに設置した陸軍大学校(Kriegsakademie)は初めて軍の高等研究機関として設置された学校であり、入学のためには10日間にわたる試験に合格することが求められた。また教育課程は純粋に学問的な内容が整えられ、高等戦術学などの軍事学に留まらず、政治学、経済学、数学、地理学、法律学などが教育され、1850年代のヨーロッパにおいて多くの研究論文や文献を発表した。この陸軍大学校の次いでフランスでもサン・シールが幕僚業務の学校として幕僚大学を設置したが、1878年にはより学術的な研究と教育が行われる陸軍大学校(Ecole Militaire Superieure)が創設されている。イギリスでは1802年に既にヨーク公爵によって編成された王立軍事大学(Royal Military college)があったが、そこで設けられていた幕僚課程が1857年に幕僚学校として独立するまでは重要な役割を与えられていなかった。このように広がっていった高等軍事教育の改革は19世紀末には各国で推進されるようになっていき、軍事戦略や高等戦術に携わる幕僚、指揮官にはこのような学校で学ぶことが必須の条件であると認められるようになっていき、またそこが中心となって軍事学の研究が進められるようになっていった。プロイセンのモルトケ、フランスのフォッシュ、アメリカのマハン、イギリスのフラーなど、彼らはこの高等教育機関で教育と研究を行った軍事学者であった。
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