軍事整備と館山開港
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/06 23:45 UTC 版)
昭和に入ると館山航空基地が完成し、館山海軍航空隊が開設、軍専用港を施設する(東防波堤)。これにより、館山湾には様々な軍艦・潜水艦などが見られるようになる。大房岬と西岬地区に東京湾要塞の砲台が構築され、さらに洲ノ崎海軍航空隊が笠名・大賀に開隊するなど、軍事整備が次々と行われた。館山は実戦の態勢となり、陸上機隊・水上機隊の両方を備える中枢基地となる。また、一時中攻隊をおいて外戦部隊の一翼を担うが、木更津基地の完成と共に中攻隊はそちらへ移ったことにより、以後館山航空基地は内戦部隊となる。1945年(昭和20年)、那古地区川崎に空襲があり、館山港からアメリカ軍が上陸し、終戦を迎える。 戦後、1948年(昭和23年)、館山港を地方港湾に指定し、1949年(昭和24年)、東海汽船が戦争で中断していた館山航路を復活した。1952年(昭和27年)、館山港を五か年計画で修築開始する。1953年(昭和28年)、海上警備隊(海上自衛隊)館山航空隊が設立され、同年の3月に港湾区域の認可を受け、千葉県が港湾管理者となり館山港として開港する。
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