軌道の歴史と発展
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/24 11:06 UTC 版)
1967年のブライアン・マースデンの研究は、クロイツ群の先祖にあたる彗星を確認するためこの群の軌道を遡ろうとする初めての試みだった。1965年までに現れたクロイツ群の彗星は全て約144°という同一の軌道傾斜角を持ち、また近日点黄経も280°- 282°と非常によく似た値を持っており、例外が2、3あるのは軌道計算の不確かさに原因があると考えられた。近日点引数と昇交点黄経の値にはより大きな幅があった。 マースデンはクロイツ群の彗星が軌道要素のわずかな違いから2つのグループに分けられることを発見し、この群が1回以上の近日点通過を経ていることが示唆された。池谷・関彗星と1882年の大彗星の軌道を遡ったマースデンは、前回の近日点通過でこれらの破片の間に生じた軌道要素の違いは、池谷・関彗星が分裂したあとの破片の軌道要素の間に生じた違いと同程度であることを発見した。これは、この2つの彗星が、1回帰前に分裂した同じ彗星から生じた2つの破片だと考えることがもっともらしいということを意味している。クロイツ群の先祖の彗星として飛び抜けて可能性が高いのは1106年に見られた彗星である。池谷・関彗星の軌道要素からは、前回の近日点通過がほとんどちょうどその頃だったという結果が導かれ、また1882年の大彗星の軌道要素からは、前回の近日点通過はその数十年後だったという結果が出るが、これが一致するには、軌道要素にほんの小さな誤差があると考えるだけでよい。 1689年、1702年、1945年の彗星も1882年、1965年のものと密接に関係があるとみられているが、これらの彗星の軌道要素は、1106年に母彗星から分裂したのか、あるいは4世紀かそれ以前の近日点通過の際に分裂したのかを確定できるほど正確には求まっていない。この亜群(サブグループ)は亜群Iとして知られている。 1843年と1963年の彗星も密接に関係があると思われるが、これらの軌道を1回帰前に遡っても、軌道要素の違いはまだ多少大きすぎるので、これらが互いに分裂したのはもう1回帰前ということを意味するのかもしれない。これらは1106年の彗星とは関係がなく、それよりはその約50年前に戻ってきた彗星と関係があると考えられている。1668年、1695年、1880年、1963年の彗星も、亜群IIと呼ばれるこの亜群に属し、おそらく1回帰か2回帰前の分裂の結果だろう。1970年に見られたホワイト・オルティス・ボレリー彗星はこのグループよりは亜群Iに近い関係だが、以前に分裂して他の破片を生じたと思われる。 2つの亜群の違いは、これらが2つの分離した母彗星から生じた結果であることを示しており、2つの彗星はどちらも何回帰か前に分裂した「祖母彗星」の破片だったと考えられている。祖母彗星の可能性のある候補は紀元前371年にアリストテレスとエフォルスが観測した彗星である。エフォルスはこの彗星が2つに分裂したのを見たと主張した。元々の彗星が極めて大きかったことは間違いなく、核の直径が100kmもあったかもしれない(比較のために書くと、ヘール・ボップ彗星の核の直径は約40kmである)。 この2つの主要なグループとは軌道が多少違うが、1680年の彗星も、クロイツ群と関係があり何回も前の回帰で分裂した可能性がある。 クロイツ群のようなことは唯一の特異な現象ではないかもしれない。様々な研究により、大きな軌道傾斜角と2天文単位未満の近日点距離を持つ彗星では、重力的な摂動の効果が累積することによって、太陽に接近する軌道になる傾向があることが示されている。ある研究では、ヘール・ボップ彗星も最終的に太陽に接近する彗星になる可能性が約15%あると推定されている。
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