越路吹雪とのエピソード
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/16 09:55 UTC 版)
時子と越路が初めて接触したのは、当時新人だった越路が自分のサインの見本を書いてほしいと時子に相談を持ちかけたときだった。このとき2人で作ったサインを越路は終生使い続け、越路が忙しくなってからは時子が「代筆」することもよくあったという。 その後、時子は気づけば越路の付き人の役割を担っており、ある日の舞台が終わったあと、越路は不器用ながらも小道具の手入れをする時子を見て、「時子さんもどこか抜けているし、私も抜けている、二人でやっと一人前だよね」と言ったという。 宝塚時代から、靴や洋服など欲しいものがあればどんどん買ってしまい、よく給料を前借りしていた越路は、東宝に移籍するときには歌劇団に借金が残っていた。その浪費癖を重々承知していた時子は、1978年、越路がパリへアルバムのレコーディングに赴くにあたり、レコード会社の担当ディレクターに「(所持金が)足りなくなったら使ってほしい」とこっそり現金を託した、という話も残っている。 越路はリサイタルの直前は極度の緊張におそわれたという。そのため、緊張を紛らせるために煙草を燻らせ、コーヒーを飲んで、リサイタルに臨んでいた。ステージに出る際は緊張も極限に達し、マネージャーである時子から背中に指で「トラ」と書いて貰い、「あなたはトラ、何も怖いものは無い」と暗示をかけて貰ってからステージに向かっていた。 越路が胃がんで入院した後も、もう一度舞台に立たせたいと強く願っていた時子は越路から睡眠薬とタバコを取り上げることに必死だった。それにもかかわらず、越路の夫の内藤法美は妻である越路が病床でタバコを吸っていても大目に見ていた。「いまの越路吹雪には厳しい愛が必要だ」と考えていた岩谷にとって、これは許しがたいことであり、3度目の入院を前に時子は越路のもとを訪れ「内藤さん、あなた(越路に)甘いんじゃないの。あなたもあなたよ。睡眠薬もタバコもやめなけりゃあ、胃の痛みは治らないって、お医者さまもおっしゃったでしょう。もし、あなたが私のいうこと守れなかったら、私はあなたの仕事からいっさい手をひかせてもらうわ」と心を鬼にして一対一で説得し、その日から越路は睡眠薬とタバコをやめたという。
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