越州窯青磁
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/29 14:05 UTC 版)
浙江省慈渓市(旧余姚)の余姚窯やその周辺の窯で焼成された青磁を越州窯青磁という。陸羽の『茶経』という書物には、唐代の窯として、越州、鼎州、婺州(ぶしゅう)、岳州、寿州、洪州、邢州(けいしゅう)の7つが挙げられている。これは、「美味しく茶が飲めるのはどの窯の器か」という趣旨の記述の中に登場するものであるが、唐時代に実在した窯とその作風を具体的に伝える史料として貴重なものである。前述の7つの窯のうち、鼎州窯は窯址が不明だが、他の6つについては窯址が確認され調査されている。6つのうち、邢州窯は華北の白磁窯で、北朝から五代まで存続した。残りの5窯はいずれも華南地方にあり、青磁を主に焼いた窯である。越州窯は前述のとおり浙江省慈渓市に窯址があり、以下、婺州窯は浙江省東陽市、岳州窯は湖南省岳陽市湘陰県、寿州窯は安徽省淮南市(わいなんし)、洪州窯は江西省豊城市曲江鎮に窯址が確認されている。婺州、岳州、寿州、洪州の各窯は新中国成立後の調査で確認されたもので、婺州窯が北宋まで存続するが、他は唐末から五代頃には姿を消している。 越州窯の青磁は前述の『茶経』でも第一とされ、晩唐の詩人陸亀蒙は「秘色越器」と題した詩で越州窯青磁の釉色の美を「奪得千峰翠色来」(山々の緑を奪ってきたようだ)と称えた。「秘色」の語は海を越えた日本にも伝わり、『源氏物語』(10世紀末 - 11世紀初に成立した長編物語)の「末摘花」帖には「御だい、ひそくやうのもろこしのものなれど」(御膳は青磁風の唐土のものであるが)というくだりがある。20世紀末には、この「秘色」という語と実物遺品とを結びつける、学術的に貴重な発見があった。それは陝西省宝鶏市扶風県法門鎮の法門寺の出土品である。法門寺には、明時代に再建された八角十三重の甎塔(せんとう)があったが、1981年の長雨で倒壊してしまった。その後1987年に塔地宮(塔の地下の石室)の発掘調査を行ったところ、唐時代の金銀器、磁器、絹織物などの貴重な文物が検出された。このうち磁器は青磁14点、白磁2点である。同時に検出された咸通15年(874年)の石碑に「瓷秘色」とあったことから、ここに埋納されていた青磁器が、当時の人々が「秘色」と呼んだものであることがわかったのである。塔地宮から出土した青磁の輪花鉢や八稜瓶はオリーブグリーンの釉がむらなく掛かり、浙江省慈渓市の越州窯址から出土した陶片と作風が共通する。
※この「越州窯青磁」の解説は、「中国の陶磁器」の解説の一部です。
「越州窯青磁」を含む「中国の陶磁器」の記事については、「中国の陶磁器」の概要を参照ください。
- 越州窯青磁のページへのリンク