豪潮の密教
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豪潮律師の生涯において注目すべきなのが、戒律と仏塔(宝篋印塔)の建立である。その基盤となるのは生涯の修道となった密教だった。天台宗は元来、開祖の最澄の発願になる大乗戒壇を旨としていて、当時は鑑真が伝えた僧侶の出家戒(具足戒)を伝えてはいなかったが、豪潮律師は父である貫道の悲願であった出家戒を身に具えた聖僧となり、密教に不可欠な三昧耶戒を得るために、自ら長崎に遊び、中国密教を学んで唐密の準提観音を生涯の本尊とし、出家戒を身に具えることができたのである。それゆえ、豪潮律師の密教を理解するには、日本の天台宗が伝える台密(天台密教)と、中国密教が伝える唐密の両面を明らかにする必要がある。 【日本密教】 豪潮律師が台密の教えを学んだのは、16歳で比叡山の延暦寺に登り、22歳で宣叙法印大和尚、伝燈大法師となり、台密の正嫡の一つである穴太流の教えを修めた。故あって、師僧豪旭の跡を継ぐために27歳で下山するまで、台密の修行に専心したことは、その異例の出世と、俗に豪潮目録と呼ばれる『繁根木山什物記』によって推察することができる。 『繁根木山什物記』(はんこんもくさんしゅうもつき) 『繁根木山什物記』は、豪潮律師が熊本の寿福寺にいた時に、手元にある宝物の内容を記したものであり、今日もし現存すれば、国宝や重文となる品物を多数含み、その内容の充実さから豪潮律師の正統性を裏打ちし、その徳の高さを慕われていたことが分かる。 唐本 「胎蔵界曼荼羅」 一幅。 唐本 「金剛界曼荼羅」 一幅。 唐本 「般若十六善神像」(大般若会の本尊) 一幅。 慈覚大師(円仁)親筆 「五大尊像」(五大明王の仏画) 一幅。 覚鑁上人親筆 「不動尊像」(不動明王像) 一幅。 隋の皇帝煬帝の宸翰 「天台智者大師画像」(天台智顗像) 一幅。 光格天皇御賜 「阿弥陀如来木像」(伽羅の香木製) 一体。 聖護院二品盈仁親王拝書 「阿弥陀如来木像勅賜記」 一幅。 光格天皇御賜 「墨」(明代の中国墨) 三本。 中宮欣子内親王御賜 「白瑪瑙硯」 一基。 光格天皇御賜 「金琥珀念珠」 一連。 光格天皇御賜 「唐金花瓶」(光格天皇御作の和歌と牡丹の図柄の宸翰) 一基。 中宮欣子内親王御賜 「仏母准提尊木像」(伽羅の香木製准胝観音像) 一体。 光格天皇御賜 「純銀香合」 一基。 閑院宮善仁親王(堀河天皇)宸翰 「送別和歌」 一首。 光格天皇と中宮欣子内親王の授戒に用いられた 「授戒三聖図」 一幅。 【中国密教】
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