議会軍の鉄騎隊
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/05 01:32 UTC 版)
「オリバー・クロムウェル」の記事における「議会軍の鉄騎隊」の解説
クロムウェルは1640年の短期議会及び長期議会にはケンブリッジ選挙区(英語版)から選出された。長期議会では議会派に属して、国王の専制に断固として対峙する論陣を張るジョン・ピムの下で星室庁の廃止をはじめとした王権を縮小する数々の法案や議会の大諫奏・民兵条例などの重要法案の起草に携わり、清教徒革命では議会派と王党派との対立から内戦が不可避となると第一次イングランド内戦においては軍の指揮官となって王党派と戦った。 1642年10月23日、エッジヒルの戦いでの敗戦直後、クロムウェルは従兄で議会軍の大佐ジョン・ハムデンに「酒場の給仕や職人の軍隊で上流人士の騎士たちと戦を続けることは難しい。これからは信者の軍をつくらなければならない」と語った。国王軍に対抗してノーフォーク・ケンブリッジシャーなど5州が連合した東部連合にクロムウェルは手勢1,000名余を引き連れて参加した。この連隊はクロムウェルが私財1,100~1,200ポンドを投じてつくった。教派にこだわらず、キリスト教徒であれば誰でも連隊で用いられた。ジェントリ、ヨーマンが中心であったこのクロムウェルの連隊は鉄騎隊とよばれた。これは後のニューモデル軍の中核となった。エッジヒルの戦い後、国王軍はオックスフォードに本拠をおき北部・西部を抑え、議会軍はロンドンを拠点に南部・東部を支持基盤とした。 1643年10月11日のウィンスビーの戦い(英語版)では、東部連合軍司令官マンチェスター伯エドワード・モンタギューに従いヨークシャーで苦戦しているトーマス・フェアファクスの救援に向かい、リンカンシャーで合流し王党派と激突した。戦闘では「詩篇を歌い感謝しつつ」突撃し、リンカンシャーから王党を一掃した。その後ヨークシャーやニューベリーなどで中小規模の戦いが続いたが、1643年の間は大勢としては国王軍有利に進み、国王軍は何度もロンドンを窺う情勢にあった。
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