議会選勝利とコアビタシオン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/29 00:02 UTC 版)
「社会発展国民運動」の記事における「議会選勝利とコアビタシオン」の解説
1度は下野したMNSDだが、1995年1月に行なわれた議会選では、対立していたニジェール民主社会主義党(PNDS)と野党連合を結成し、勝利を収めた。首相にはMNSDのハマ・アマドゥ書記長が就任し、反MNSDのウスマン大統領とMNSDのアマドゥ首相によるコアビタシオンが成立した。この中で両者は激しく対立し、政局の混乱と不安定化を招いた。1996年1月にはイブライム・バレ・マイナサラ陸軍参謀長の率いるクーデターにより、軍政が復活。ウスマン大統領とアマドゥ首相はともに解任され、MNSDを含む政党活動は厳しく制限された。1996年7月に行なわれた大統領選挙で、MNSDはママドゥを擁立したが、結果は第3位だった(当選はマイナサラ、第2位はウスマン)。この結果を不服とし、MNSDは同年11月の議会選をボイコットした。
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