講和・影響
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/13 06:02 UTC 版)
「第一次ロシア・スウェーデン戦争」の記事における「講和・影響」の解説
この海戦は、グスタフ3世に名声を与え、北方の強国スウェーデンを、女帝エカチェリーナ2世の脳裏に植え付けるには十分だった。戦争の不利を悟った女帝は、列強に働きかけ、和平交渉が行われた。イギリスとプロイセンが仲介に入り、8月にフィンランドのヴァララで和平が締結された(ヴァララの和約)。内容は、両国とも領土変更なしでの和平合意であった。ロシア側は、その国体には何らマイナス的影響は及ぼさす、スウェーデン側ではグスタフ3世の絶対王政が容認され、フィンランドへのロシアの干渉が停止することとなった。 しかしスウェーデンは、イギリス、プロイセン、オスマン帝国から資金の提供を受けており、実質的な勝利国と同等となった。また、この戦争は、スウェーデンの国際的影響力を見定めさせる結果となった。ロシアは、スウェーデンに対し内政干渉を停止し、両国の関係は改善されることとなった。おりしもフランスで起きた大革命が両国の関係を急速に改善させる結果となった。グスタフ3世はロシアに対する敵対的政策を断ち、反革命のために共闘していくこととなった(反革命十字軍)。そして翌1791年10月にストックホルム郊外のドロットニングホルム宮殿で、ロシアと軍事同盟を締結した。これらの成功は、スウェーデンにおける中興の実を挙げたことの証明となった。
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