認識論と論理学
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/22 02:04 UTC 版)
「アネーカーンタヴァーダ」および「シャードヴァーダ」を参照 基本的な認識論の問題、つまり、知識の本性に関わる問題、知識はいかにして生じるか、どうすれば知識は信頼できるといえるかといったことを主題とすることでジャイナ哲学は哲学の主要領域の発展に独自の貢献を果たした。ジャイナ哲学でいう知識は魂の中で起こり、カルマによる要因の限定がなければ全知的である。人の持つ知識は部分的・不完全である―知識の対象は部分的・不完全に知られ、知識を得る方法はその能力を完全には活かせない。『タットヴァールタスートラ』によれば、基本的なジャイナ教の真実に関する知識は以下の物事を通じて得られる: プラマーナ(Pramāṇa) - 知識を得る手段・道具で、対象の包括的な知識をもたらす ナヤ - 部分的・不完全な知識をもたらす特殊な観点 プラマーナは5種類に分けられる: マティ - 「智慧による知識」 スルータ -「聖典に基づく知識」 アヴァディ - 「透視」 マナーパリヤーヤ - 「テレパシー」 ケーヴァラ - 「完全知」 前二者は知識を得る間接的な方法「パロークシャ」(parokṣa)とされ、後四者は直接的な知識「プラティヤクシャ」(pratyakṣa)を与え、これによって魂が直接的に対象を知ることになる。 ジャイナ教によれば、事実は考え方の違いによって異なって受け取られ、しかも一つの考え方だけでは完全な真実を得ることはできないという。ジャイナ教の教義では、物体は存在と形象に関して無限の形象をとり、人間自身の限定された能力では物体の全ての様相・現れを完全に知ることはできない。ケーヴァラ・ジュニャーナ―全知の存在―だけが物体をその全ての様相・現れにおいて知ることができ、その他の存在は皆それを部分的に知ることができるのみである。したがって、どの一つの観点も完全な真実を表しているということはできない。この過程で、ジャイナ哲学は論理・推論に用いられる相対主義の教義とともに現れた– アネーカーンタヴァーダ - 相対主義的多元論つまり多数の理論 シャードヴァーダ – 条件付き叙述の理論 ナヤヴァーダ – 部分的・不完全な観点の理論 こうした哲学的概念によって古代インド哲学、特に懐疑主義と相対論の分野でほとんどの重要な発展がなされた。
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