詩人と悲劇
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/27 17:05 UTC 版)
「フランス・ルネサンスの文学」の記事における「詩人と悲劇」の解説
プレイヤード派の詩的構成を特徴づけた古典からの模倣や受容を行おうとする精神に基づいて、フランスの人文主義作家たちは、次のような悲劇の形式を推奨されるものと見なした。すなわち、悲劇は五人の役者で演じられ、うち三人が貴族階級の主要人物であるべきことと、演劇はIn medias resで始まり、上品な言葉を使い、怖がらせる演出をすべきでないことなどである。 中には、ラザル・ド・バイフやトマ・セビエのように、中世的な道徳劇や笑劇を古典劇に結びつけようとした者もいたが、デュ・ベレーは、この主張を拒否し、古典的な悲劇や喜劇をより尊厳あるものへ昇華させた。 プレイヤード派の精神を演劇に適用したエチエンヌ・ジョデルの『囚われのクレオパトラ』(1553年)は、最初のフランス独自の演劇と見なすことができる。それは、五人で演じることなどホラティウスの演劇構造の教唆に従ったものであり、古代の模範と密接に結びついている。つまりは、プロローグが影 (a shade) に導かれ、動きへのコメントや登場人物への直接の語りかけを行う古典的なコーラスがあり、悲劇的な結末がメッセンジャーによって語られたものである。 プレイヤード派ではないが、メラン・ド・サン=ジュレが翻訳を手掛けたジャン・ジョルジョ・トリッシーノの『ソポニスバ』は、貴族ソポニスバの自殺を語った古代のモデルに基礎を置く最初の近代的な本格悲劇であり、1556年に宮廷で上演されたときには、大成功をおさめた。
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