詩人としての評価
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/26 23:11 UTC 版)
杜甫の詩人としての評価は必ずしも没後短期間で確立したものでない。没後数十年の中唐期に、元稹・白居易・韓愈らによってその評価は高まったものの、北宋の初期でさえ、当時一世を風靡した西崑派(晩唐の李商隠を模倣する一派)の指導者の楊億は、杜甫のことを「村夫子」(田舎の百姓親父)と呼び嫌っていたという。一方、南宋初期の詩人である呉可は『蔵海詩話』の中で「詩を学ぶに、当に杜(甫)を以て体と為すべし」と述べている。 明の胡応麟の『詩藪』に「李絶杜律」とあるように絶句を得意とした李白と対照的に、杜甫は律詩に優れているという評価が一般的である。奔放自在な李白の詩風に対して、杜甫は多彩な要素を対句表現によって緊密にかつ有機的に構成するのを得意とする。
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