設定以前の状況
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 18:38 UTC 版)
国鉄末期までの東海道本線(豊橋駅 - 名古屋駅 - 大垣駅間)は日中1時間あたり快速1本・普通1本という貧弱な路線であった。1971年(昭和46年)に運転を開始した快速に使用していた153系(155系・159系含む)の取替にあたって、117系を1982年(昭和57年)に投入し「東海ライナー」と命名した。だが、当時の普通列車は本数が少なく、米原・大垣と静岡・熱海・東京との直通運転が多かったために運転間隔も統一されていないなど、「使いやすいダイヤ」には程遠い状態であった。対する当時の名古屋鉄道名古屋本線では、特急・高速・急行を合わせて毎時約7本が設定されており、国鉄の輸送実績はこれに遠く及ばないものであった。 分割民営化直前の1986年(昭和61年)11月に行われたダイヤ改正で、名古屋鉄道管理局は名古屋都市圏の普通列車の輸送改善を目玉とし、6両編成9本の117系を新製先頭車を加えて4両編成18本にするなど、豊橋 - 大垣間で快速列車と普通列車の大幅な増発の実施でフリークエンシーを向上させた。さらに翌春誕生したJR東海は、この区間を経営上東海道新幹線に次ぐ在来線の重要区間として位置付け、新型車両の投入と増発を重ねていくことになる。
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