討幕説延命とは? わかりやすく解説

討幕説延命

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/04 01:35 UTC 版)

正中の変」の記事における「討幕説延命」の解説

後醍醐への無罪判決の後も、日野資朝日野俊基への取り調べ続いた。宣房が帰京したその22日、資朝と俊基は、祐雅法師『太平記』伊達游雅)という人物と共に鎌倉送られることになった(『花園天皇日記同日条)。さらに、10月29日高倉範春が、多治見国長縁者として、鎌倉事情聴取されることになった(『花園天皇日記同日条・12月13日条)。 『花園天皇日記11月1日によれば、これは、資朝らが開催していた無礼講という宴会参加者名簿落書匿名風刺文)が六波羅探題投じられたのがきっかけで、その参加者ひとまず鎌倉取り調べるということになったためであるという。名簿には「高貴の人」(=後醍醐天皇か)の名まで載っていたという。その落書書いたのは、資朝・俊基と共に鎌倉送られた祐雅であるという噂が立っていたが、真偽不明このころ、源為守と智暁法師という人物鎌倉送られるという風聞があったが、それは誤報だった。 この間持明院統花園上皇は、後醍醐が「真の謀反人捕縛せよ」と幕府命じたことに動揺しており、「世間畏怖の外他無し」「君臣皆是れ狂人か」と、後醍醐派を罵っている(『花園天皇日記同年11月14日条)。河内によれば後醍醐意見幕府受け入れられれば、今度一転して花園側が追い詰められることになるため、焦ったではないか、という。 河内は、後醍醐無罪となったにも関わらず入れ替わりで資朝・俊基らが鎌倉送られ取り調べ受けた理由については、問題うやむやにしたい幕府意向があったと推測する調査結果後醍醐冤罪なのは判明したが、もし完全に白としてしまうと、今度逆に後醍醐謀略仕掛けた持明院統邦良親王対し捜査を行わければならなくなる。そうしてしまうと、問題後醍醐幕府留まらず朝廷内紛という国家揺るがす事態明るみ出てしまい、幕府にとって最悪結果になってしまう。そこで、無礼講という他愛もない風紀問題口実にして、資朝・俊基の勾留延長し政治的判断下すまでの時間稼いだはないか、という。

※この「討幕説延命」の解説は、「正中の変」の解説の一部です。
「討幕説延命」を含む「正中の変」の記事については、「正中の変」の概要を参照ください。

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