計画廃止まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/08 19:47 UTC 版)
2009年10月25日に市長選挙が行われ、地下鉄計画の是非が再び争点となった。反対派の元神奈川県議会議員の福田紀彦も出馬したが、計画推進を掲げた阿部孝夫が再選された。阿部市長は同年12月に有識者で構成される検討委員会を改めて設置し、蓄電池や燃料電池を用いた新技術の導入検討も含め、交通システムの比較検討などを行い、2年程度かけてコストの削減策や事業方針をまとめることを指示した。 2012年5月28日、川崎市の委託を受けた「新技術による川崎縦貫鉄道整備推進検討委員会」(委員長:大西隆東京大学大学院教授)が検討結果の提言書を提出した。提言書では燃料電池による地下鉄車両の実現は現時点では技術的に難しいこと、将来の人口減少など計画当初との社会環境の変化を前提とした収支検討が必要なことなどが指摘された。 検討委員会の提言を受け、翌2013年1月28日に阿部市長は記者会見で、2012年度をもって新百合ヶ丘 - 武蔵小杉間での計画に対し設けられていた高速鉄道事業会計を廃止することを明らかにした。市長のこの発言を受け、地下鉄建設を推進してきた地域住民団体「川崎縦貫高速鉄道建設を進める会」は解散した。 2013年10月27日の市長選挙では、市長を3期務めた阿部孝夫は自身の制定した多選自粛条例に基づき出馬せず、選挙戦では事実上の後継として川崎市財政局長の秀嶋善雄を支援したが、2009年の市長選では阿部の対立候補であった地下鉄反対派の福田紀彦が再出馬し、秀嶋を破り当選して市長が交代した。 2015年7月、川崎市は「計画策定当初より市の財政状況が悪化し、財政負担が過大で事業着手できる状況にない」と判断して本計画を休止。2015年度の交通政策審議会への提案を見送った。 2018年3月、川崎市総合都市交通計画の中間見直しにおいて、本計画の廃止が正式に決定した。
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