観相のための来迎図とは? わかりやすく解説

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観相のための来迎図

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/21 09:53 UTC 版)

阿弥陀聖衆来迎図」の記事における「観相のための来迎図」の解説

寛和元年985年)、源信恵心僧都)は『往生要集』を著し厭離穢土欣求浄土唱え極楽往生のための具体的な道筋示した。『往生要集』が日本の宗教思想文化に与えた影響大きく凡夫でも阿弥陀如来信仰すれば極楽浄土往生できるとするその教えは、末法思想流布とも相まって浄土教信仰発展うながした平安時代浄土教においては天台教学立脚した観相念仏、すなわち、阿弥陀如来相好を心に想起することが重視されたため、観相助けとなる阿弥陀如来彫像画像多数作られ貴族競って阿弥陀堂建立したまた、信仰同じくする人々集まって経典読誦などを行う往生講組織された。こうした往生講念仏講本尊として来迎図用いられた。 阿弥陀信仰者は、臨終際し阿弥陀像を安置し阿弥陀の指と自分の指とを五色の糸で結び、極楽往生祈念した。こうした臨終行儀画像用いられるのは鎌倉時代以降であり、平安後期においてはこうした場合には阿弥陀彫像安置するのが一般的であった。したがって平安後期来迎図臨終行儀のためではなく生前信仰生活のために用いられたものであった当麻曼荼羅平等院鳳凰堂壁扉画に描かれ九品来迎図は、斜め構図であり、飛雲乗った阿弥陀聖衆は斜めに下降し往生者のもとへ向かっている。しかし、往生講などの本尊として用いられ来迎図は、このような斜め構図ではなく観相念仏助けとなる正面向き構図のものであった考えられている。高野山阿弥陀聖衆来迎図(もとは比叡山伝来平安後期)は、こうした恵心流観相念仏本尊として使用されたものと思われる九品来迎図のような斜め構図来迎図が、画面下方往生者の住居描き来迎客観的に表現するのに対し高野山阿弥陀聖衆来迎図では、正面向き阿弥陀如来中心に、諸菩薩画面一杯配し、絵を見る者は阿弥陀直接対峙することになる。 平安時代さかのぼ来迎図作例としては、京都安楽寿院阿弥陀聖衆来迎図正面構図)、滋賀浄厳院阿弥陀聖衆来迎図斜め構図)がある。鎌倉時代作例としては、正面構図のものとして福井安養寺阿弥陀二十五菩薩来迎図高野山蓮華三昧院阿弥陀三尊像斜め構図のものとして京都知恩院阿弥陀二十五菩薩来迎図滋賀新知恩院阿弥陀二十五菩薩来迎図などがある。

※この「観相のための来迎図」の解説は、「阿弥陀聖衆来迎図」の解説の一部です。
「観相のための来迎図」を含む「阿弥陀聖衆来迎図」の記事については、「阿弥陀聖衆来迎図」の概要を参照ください。

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