製作とモデル
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西郷と同じく鹿児島県出身で作家の海音寺潮五郎は、絶筆となった著書『西郷隆盛』にて次のように述べている。 「これはぼくだけの見当だが、安藤は西郷の孫にあたる西郷隆治さんをモデルにし、それを彼の主観でアレンジして造形したのではないかと思っている。安藤は鹿児島二中の出身であるが、隆治さんも二中の出身だ。大体同じころに在学している見当でもある。隆治さんは西郷が奄美大島に流謫中にめとった島の娘アイカナの産んだ菊次郎の子で、西郷に最もよく似ているといわれている人である。大正八年、ぼくは鹿児島市から六里北方の加治木中学を卒業して鹿児島に出ていたが、ある日友人と一緒に電車に乗ると、車中に年頃二十四、五の青年のいるのが目についた。折り目正しい薩摩ガスリの着物に紺のはかまと紺足袋をはき、右手にステッキをつき、左手につり革をつかんで立っている。目をひく立派さだ。ぼくが感嘆して見とれていると友人がささやいた。『あ、西郷どんの孫じゃ』『ほう、ほんとか』『西郷隆治というのじゃ。二中の卒業生で柔道が強かったのじゃ』と友人は答えた。体格は雄偉で、骨格はたくましかったが、肥満というほどではなく、引きしまっていた。顔立ちは眉が濃く太く、眼裂の大きい目はけいけいとしてかがやきが強く、身だしなみよく剃った青々としたひげあとが匂うばかりであった。最も男性的な風貌であった。『りっぱじゃなあ』とぼくが感嘆すると、友人はさらに答えた。『西郷どんの孫の中で一番似とるといわれているお人じゃ』ぼくは若い日の西郷を想望したのであった。ともあれ、安藤のつくった銅像は隆治さんによく似ている。」 — 海音寺潮五郎、『西郷隆盛』 当の安藤は「大西郷と銅像」(『改造』第19巻9号、1937年)にて、次のように記述している。 「襟は十九インチ、身長は五尺九寸余、体重は二十九貫と云うので胴回りなどの研究を進めることもできた。翁の令孫隆治氏は柔道剣道の達人で相当偉大な体躯の持主であるが、この大将服を着用せられてなお二貫余の綿を入れなければならなかった。また私共が、二人も一しょに入れるような胴回りである」 — 安藤照、「大西郷と銅像」、『改造』第19巻9号、1937年 2008年(平成20年)12月30日の南日本新聞記事によると、西郷のモデルは、元・山形県議の男性であることが判明。安藤のアトリエで撮影された、銅像のひな型や肖像画などが写り込んだモノクロ写真が、男性の遺族宅で発見されたという。遺族は「(祖父の)目は隆治さんに似ていると思う」とも述べている。
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