製作とモデルとは? わかりやすく解説

製作とモデル

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/05 23:43 UTC 版)

西郷隆盛像」の記事における「製作とモデル」の解説

西郷同じく鹿児島県出身作家海音寺潮五郎は、絶筆となった著書西郷隆盛』にて次のように述べている。 「これはぼくだけの見当だが、安藤西郷の孫にあたる西郷隆治さんをモデルにし、それを彼の主観アレンジして造形したのではないか思っている。安藤鹿児島二中の出身であるが、隆治さんも二中の出身だ。大体同じころに在学している見当でもある。隆治さんは西郷奄美大島流謫中にめとった島の娘アイカナの産んだ菊次の子で、西郷に最もよく似ているといわれている人である。大正八年、ぼくは鹿児島市から六里北方加治木中学卒業して鹿児島出ていたが、ある日友人一緒に電車乗ると、車中年頃二十四、五青年のいるのが目についた折り目正しい薩摩ガスリの着物に紺のはかまと紺足袋をはき、右手ステッキをつき、左手つり革つかんで立っている。目をひく立派さだ。ぼくが感嘆して見とれていると友人ささやいた。『あ、西郷どんの孫じゃ』『ほう、ほんとか』『西郷隆治というのじゃ。二中の卒業生柔道強かったのじゃ』と友人答えた体格雄偉で、骨格たくましかったが、肥満というほどではなく、引きしまっていた。顔立ちは眉が濃く太く眼裂大きい目はけいけいとしてかがやき強く身だしなみよく剃った青々としたひげあとが匂うばかりであった。最も男性的な風貌であった。『りっぱじゃなあ』とぼくが感嘆すると、友人はさらに答えた。『西郷どんの孫の中で一番似とるといわれているお人じゃ』ぼくは若い日の西郷想望したのであったともあれ安藤つくった銅像は隆治さんによく似ている。」 — 海音寺潮五郎、『西郷隆盛当の安藤は「大西郷銅像」(『改造第19巻9号1937年)にて、次のように記述している。 「襟は十九インチ身長五尺寸余体重二十九貫と云うので胴回りなどの研究進めることもできた。翁の令孫隆治氏は柔道剣道達人で相当偉大な体躯持主であるが、この大将服を着用せられてなお二貫余の綿を入れなければならなかった。また私共が、二人も一しょに入れるような胴回りである」 — 安藤照、「大西郷銅像」、『改造第19巻9号1937年 2008年平成20年12月30日南日本新聞記事によると、西郷モデルは、元・山県議男性であることが判明安藤アトリエ撮影された、銅像ひな型肖像画などが写り込んだモノクロ写真が、男性遺族宅で発見されたという。遺族は「(祖父の)目は隆治さんに似ていると思う」とも述べている。

※この「製作とモデル」の解説は、「西郷隆盛像」の解説の一部です。
「製作とモデル」を含む「西郷隆盛像」の記事については、「西郷隆盛像」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「製作とモデル」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「製作とモデル」の関連用語

製作とモデルのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



製作とモデルのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの西郷隆盛像 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS