被爆、その後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/24 16:58 UTC 版)
1945年(昭和20年)8月6日午前8時15分、広島市に原子爆弾が投下された。可部線で使用されていたモハ90形、モハ91形は、幡生工機部に入場していた90001、90005を除いて、車両基地のあった横川駅構内で被災し、同駅ホームにあった91002+90007は駅舎と運命を共にし、90002+90006と91001+90004は車庫内で焼失した。洗浄線にあって中破した90003は、小倉工機部で復旧されたものの、モハ90形4両(90002、90004、90006、90007)、モハ91形2両(91001、91002)は1946年(昭和21年)に廃車された。 文字どおり生き残った3両(90001、90003、90005)は、戦後、補充用に集められた戦時買収線区(鶴見線、宇部線、南武線、仙石線)の買収社形、省形木造車とともに引き続き可部線で使用され、日中は単行で、ラッシュ時は同形式の3両編成で運用された。1948年(昭和23年)10月1日には架線電圧が750 Vに昇圧されて、本形式にも対応工事が行なわれ、集電装置はパンタグラフ(省形式PS13)に交換された。 1953年(昭和28年)6月1日に施行された車両形式称号規程改正では、モハ1000形への改称が予定されたが、その直前の3月15日に運用を離脱、3月20日付けで廃車された。廃車前には広島電鉄や尾道鉄道等から譲渡申請があったが、許可されなかった。
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