被曝2世
別名:被爆2世、被爆二世、被曝二世
1945年に広島及び長崎に投下された原爆の被爆者の子ども。
被曝2世の詳しい数は判明していないが、数十万人いるとされている。一方の被曝者は2011年3月時点で全国約22万人いると厚生労働省は発表している。被曝者本人には被曝者健康手帳が配布される。被曝者は、被曝者健康手帳と健康保険証を各都道府県が指定した医療機関に持参すれば、診断、入院、治療などを無料で受けることができる。
他方、被曝2世に認められている国の医療保障は、無料の健康診断のみである。被曝2世の調査は主に「放射線影響研究所」が行っており、同研究所の調査では親の被曝による遺伝的な影響はないとされているが、2013年現在も各研究機関などで白血病と被曝2世の関係についての研究が続けられている。
関連サイト:
被爆2世への被爆者健康手帳や健康診断はどうなっていますか - 広島市
被爆2世
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/18 07:14 UTC 版)
両親と祖父母が1945年8月6日の広島市への原子爆弾投下により被爆しており、久保は被爆2世である。久保は母から「地獄のようだ」と聞いている。久保家は紙屋町(現・広島市中区)の自宅で刀剣屋を営んでいたので原爆で従業員も身内も亡くなっている。久保は毎年8月5日の夜に平和記念公園を歩いている。久保は自身を「核兵器廃絶を強く言える一人」としている。
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被爆2世
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 04:52 UTC 版)
2012年に死去した父は11歳の時の1945年8月6日、広島市への原子爆弾投下により被爆しており、塩村は被爆2世である。被爆者が亡くなると原爆死没者名簿に記されて平和記念公園の慰霊碑に奉納されるが、塩村が初めて参列した8月6日の式典でその様子を見た時、「涙があふれた」という。ちなみに塩村は父について2016年に出版した著書の中で「父母は離婚、父親が事件を起こした、彼とは中学を卒業後ほとんど会っていない」といった事情を明かしている。
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