被災 - 引退後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/12 23:53 UTC 版)
競走前より屈腱炎の兆候が出ていたため、オークスから3週間後に九十九里浜で休養に入り、以後は海水浴などをしながら療養を続けた。しかし8月23日、休養先の牧場が台風の直撃を受けた影響で腰から左後肢にかけて重傷を負った。怪我の原因については「強風で崩れた埒の下敷きになった」、あるいは「近郊の川の氾濫で放牧地が使えなくなり馬がストレスを溜め、被災後の初放牧で勢い余って転倒した」と諸説あるが、いずれにせよテンモンは背中から後躯にかけて麻痺を残すことになった。以後出走することはなかったが、当年はエリザベス女王杯優勝のアグネステスコと最優秀4歳牝馬を同時受賞。その表彰式の席上で稲葉から引退が発表された。 後年、嶋田はその能力を評し「テンモンという馬には凄みがあった。レースでも気性面が素直で御しやすかった。ひたすら走るところが素晴らしい。胴長で、無駄な肉がなく柔らかで、思いきり手足を伸ばして走るので乗り心地が良かった。外車と国産車の違いのようだった。(中略)これだけの名牝に巡り合えたことはラッキーだった。もし九十九里の事故がなかったら、距離的な心配もないし、エリザベス女王杯はもちろん、天皇賞や有馬記念を勝ったかも知れませんね」と語った。また、1999年に雑誌『Number』が行った「最強馬アンケート - 私が手掛けた馬編」では、グリーングラスを挙げた後に「牝馬ではテンモン。無事ならトウメイより上」と回答している。 引退後は繁殖牝馬となったが、怪我の後遺症により出産に負担が掛かるため、思うように種付けは行われなかった。目立った産駒もなく、僅かにテンザンテースト(父ノーザンテースト)とアオイノモン(父パーソロン)が血統を買われて種牡馬となっただけである。それでも、テンザンテーストからは地方競馬での活躍馬も出ている。2001年5月18日、老衰のため23歳で死亡した。孫に1999年の青葉賞2着、弥生賞3着馬マイネルシアターがいる。
※この「被災 - 引退後」の解説は、「テンモン」の解説の一部です。
「被災 - 引退後」を含む「テンモン」の記事については、「テンモン」の概要を参照ください。
- 被災 - 引退後のページへのリンク