衰えない創作力
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/07 21:51 UTC 版)
初婚の妻、菊との死別、子どもたちの夭折、再婚相手の雪との離婚、2度の中風と、一茶は様々な家庭的、身体的不幸の中で晩年を迎えていた。しかし2度の中風で身体的に不自由となり言語障害にも見舞われたものの、幸いにも知的能力は障害を受けなかった。文政8年(1825年)、63歳の一茶は不自由な体ながら竹駕籠に乗り、204日と年の半分以上、本業である俳諧師匠としての北信濃の門人巡りをこなした。 文政8年に一茶が詠んだ句の代表作として けし(芥子)提げてけん嘩(喧嘩)の中を通りけり 淋しさに飯をくふ也秋の風 などが挙げられる、けし提げての句は金子兜太、淋しさにの句は鷹羽狩行が激賞している。 金子はけし提げての句を、本当の意味での俳諧、一茶の代表作であると評価している。また蕪村の 葱買て枯木の中を帰りけり を念頭に作られた句と考え、蕪村の洗練された心象風景に対して、一茶は荒っぽく生臭い心理を演出したとしている。その一方でけし、喧嘩といったカ行の硬質な言葉の繰り返し、喧嘩というぶっきらぼうな言葉使いに一茶らしさが見られるとした。その上で金子はこの句には一茶の若さが感じられると評価する。また阿部完市はこの句に粋な、伊達な姿を見るとともに、芥子を提げて喧嘩の中を、一人でもあり、大衆の一員でもある一茶という人間がふいと通り抜けていく姿を見ている。 一方、鷹羽は淋しさの句には、感傷的な安っぽいものではない、本当の「淋しさ」があると評価している。またこの句には身に染みる凄絶な淋しさとともに、生臭さを感じるという評価もある。一茶の生と性への執念はいまだ涸れ果てていなかった。 ところで一茶家の家事や留守時の管理については仁之倉のいとこ、徳左衛門が支援していたと考えられているが、どうやら手が回りかねるようになったらしく、文政8年12月に一茶は家政婦を雇った。そして翌文政9年(1826年)、64歳の一茶に再再婚の話が持ち上がることになった。
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