衣食住と人尿洗顔
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 13:48 UTC 版)
挹婁の生活スタイルは、その東夷諸国のなかでは極めて特異である。まず、挹婁人は地上に家を建てず、地下に縦穴(竪穴)を掘り生活する。竪穴は深く(梯子の段数が多く)かつ大きいほど尊ばれたという。住居を地中に構えたのは、防寒の為と考えられている。さらに、部屋の中央に置いた尿を溜めた容器を囲んで暮らし、その人尿で手や顔を洗ったという。尿に含まれるアンモニアは弱アルカリ性のために皮脂汚れを落とす効果があり、古代ローマでは回収した尿で洗濯する業者がいたことが現代では知られているが、当時の中国大陸ではそのような習俗はなく、『三国志』や『後漢書』では「その人々不潔」、「その人々臭穢不潔」とあらわしている。 また、挹婁人は養豚が盛んで、豚を主食とし、豚の皮を着物にした。夏にはほぼ全裸でわずかな布だけで前後を隠したが、冬には豚の膏(あぶら)を身体に数センチもの厚さに塗って風や寒さを防いだという。食事をするときに、他の東夷諸国では俎豆と呼ばれる食器(高坏形土器)を常用していたのに対し、挹婁人は俎豆を使う習慣が無く、鼎や瓶や平皿を用いて炊事や食事をしていた。『後漢書』『三国志』では「東夷のなかで習俗が最も無規律な者たち」と記している。 人が少なく、険しい山に住み、衆は規律に服さず、操船が巧みでしばしば近隣諸国を寇掠したとも記されている。また、邑落の大人(たいじん)を一つの血族が継承する習俗があり、これは、近隣の扶余や沃沮が合議による選挙で大人を選んだのとは対照的である。
※この「衣食住と人尿洗顔」の解説は、「挹婁」の解説の一部です。
「衣食住と人尿洗顔」を含む「挹婁」の記事については、「挹婁」の概要を参照ください。
- 衣食住と人尿洗顔のページへのリンク