藤田進 (陸軍軍人)とは? わかりやすく解説

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藤田進 (陸軍軍人)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/27 16:32 UTC 版)

藤田 進
在チリ国帝国公使館付武官時代
生誕 1884年12月21日
日本 石川県
死没 (1959-02-07) 1959年2月7日(74歳没)
日本
所属組織  大日本帝国陸軍
軍歴 1904 - 1945
最終階級 陸軍中将
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藤田 進(ふじた すすむ、1884年12月21日 - 1959年2月7日)は、日本の陸軍軍人第13軍司令官、第3師団長等を歴任した。階級は陸軍中将勲一等功二級石川県出身。

経歴

1904年(明治37年)10月24日陸軍士官学校第16期を15番/549名で卒業する。同期には岡村寧次(6番)・土肥原賢二(8番)・板垣征四郎(36番)・安藤利吉(47番)ら陸軍大将がいる。同11月1日に歩兵少尉に任官する。歩兵中尉を経て1913年(大正2年)陸軍大学校(25期)を卒業する。以後歩兵科将校として累進しフランス駐在を経験する。1919年(大正8年)9月2日から参謀本部附の身分でチリに駐在し、1921年(大正10年)4月20日チリ公使館附武官に就任する。1922年(大正11年)12月28日帰国。

1925年(大正14年)5月1日陸軍歩兵学校教官、1928年(昭和3年)3月8日に歩兵大佐へ進み歩兵第15連隊長に任命される。1929年(昭和4年)8月1日に第19師団参謀長に移り、1932年(昭和7年)12月7日に少将へ進級し歩兵第32旅団長となる。1934年(昭和9年)3月5日の陸軍兵器本廠附の後、同年4月21日から独立混成第1旅団長となり、1936年(昭和11年)3月7日から陸軍歩兵学校長に任命される。同年8月1日に中将に任ぜられ、1937年(昭和12年)8月2日第3師団長に就任する。

1939年(昭和14年)10月14日参謀本部附、同年10月26日には第13軍司令官に就任する。1940年(昭和15年)4月29日功により勲一等旭日大綬章を受章し、同年12月2日参謀本部附、1941年(昭和16年)1月20日待命となり、同31日予備役編入となる。大戦末期には予備役将校が次々と召集される中、藤田も1945年(昭和20年)4月1日金沢師管区司令官に就任。同司令官のまま終戦を迎える。

1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[1]

栄典

位階
勲章

脚注

  1. ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十二年十一月二十八日 仮指定者」13頁。
  2. ^ 『官報』第6441号「叙任及辞令」1904年12月17日。
  3. ^ 『官報』第3487号「叙任及辞令」1938年8月17日。
  4. ^ 『官報』第4057号「叙任及辞令」1940年7月16日。



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