藤子不二雄との関わり
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「月刊コロコロコミック」の記事における「藤子不二雄との関わり」の解説
てんとう虫コミックスに未収録となっていた『ドラえもん』の話をまとめて読むことができるように、と方法を模索した結果が『コロコロコミック』創刊の発端で、『ドラえもん』を中心として藤子不二雄作品を集めた新しい児童向けの雑誌として創刊準備は進められた。少年漫画雑誌の読者層が上がっている中で、「小学生が読む、本当の意味でのまんが雑誌を作りたい!」という創刊編集長である千葉和治の言葉に、藤子Fは感化され、自身の全ての作品の掲載権を預けるとまで言って協力している。 小学館の学年別学習雑誌へ掲載された『ドラえもん』の総集編の色合いが強い雑誌として創刊された。そのため、創刊号の表紙は「ドラえもん」という文字が誌名よりも大きな字で書かれている。創刊当初は毎号『ドラえもん』が100頁掲載されているのが売りになる点だった。なお、創刊号は200頁、第2号は150頁掲載され、1995年8月号まで続けていた。『ドラえもん』のテレビ化開始直前には、1979年3月15日号(第11号)を『ドラえもんテレビ化記念おいわい特別号』の副題で発行。テレビ放映開始後の1979年と1980年の2回、別冊で#コロコロコミックデラックス「テレビ版ドラえもん」も発行された。映画作品の原作である『大長編ドラえもん』を映画公開前に掲載するなど、『ドラえもん』を前面に打ち出し、そのほかにも多数の藤子不二雄作品が掲載された。藤子・F・不二雄の死後は藤子プロの手による『大長編ドラえもん』や派生的な漫画『ドラベース ドラえもん超野球外伝』が掲載され、『ドラえもん』の再収録が2002年4月号より行われている。 背表紙のデザインは4月号~翌年3月号までの1年単位で統一されている。創刊号からの通巻ナンバーが記載されており、ドラえもんが必ず描かれているのが特徴である。 初期の頃には藤子不二雄のアシスタント陣による『フジコフジオ日記』(藤子スタジオの日常を描く)や『藤子不二雄のまんが入門』(読者投稿の『ドラえもん』を題材とした4コマ・1コマ漫画を批評する)などの連載があった他、藤本と安孫子の出会いからデビュー当初までを描く『まんが道』(藤子不二雄Ⓐ)を年少向けに作り直したものともいえる『藤子不二雄物語 ハムサラダくん』もあった。また、チーフアシスタントだった方倉陽二による『ドラえもん百科』が連載され、ここから『ドラえもん』の裏設定(いわゆる方倉設定)が生まれていった。 『小学館新人コミック大賞』の児童部門である『藤子不二雄賞』の結果発表と受賞作品の掲載誌としても使われていた。
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