蔵玉・折木沢用水とは? わかりやすく解説

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蔵玉・折木沢用水

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/21 23:50 UTC 版)

二五穴」の記事における「蔵玉・折木沢用水」の解説

蔵玉・折木沢用水は上総層群和田層に建設され二五穴であり、先述1970年7月1日水害にも開口部修復のみで復旧した明治時代には「亀山村蔵玉台普通水組合」が管理しており、土地改良法に基づき1952年組織変更した「亀山村蔵玉土地改良区」によって管理が行われている:313上田 et al. (2014)によると、トンネルのうち直線的なものが3400m、曲線的なものが1300m存在し上田 et al. (2014)の調査範囲内では73%を占めることが明らかとなった。また取水口用水末端との比高は7mであり、勾配はおよそ1/900であることが導き出された:314。 蔵玉・折木沢用水は平山用水完成した8年後である1844年天保15年)から計画存在し1852年嘉永5年11月には役人見分が行われていた。同月川越藩三本松役所代官所)へ、坂畑折木沢釜生村・蔵玉村各地惣代及び組頭提出した文書の「蔵玉用水願書」によると、この用水山間のため田畑少なく、また干ばつ続いたため、建設求めたとされる:324龜山村藏玉の人にして寛政十年戊午生る同郷の人朝生兵衛釜生の手島長折木澤嶋田八郎右衛門鴇田彌兵衛坂畑神作兵衛と相謀り藏玉釜生折木澤坂畑間の用水路延長千百四間開鑿布設し、工費五百六拾八両餘を投じて嘉永六年五月新田四町二段畝歩開墾竣成せり、功を以て川越藩より苗字御免となる、翌七年六月百兩廳に献し尋て藩の浮組に召抱へられ出仕す、安政六年十月一月歿す、年六十二。 — 君津郡教育会君津郡教育会 (1927, p. 469) 朝生家は蔵玉組頭であり、朝生惣右衛門発起人一人であり中心人物でもあった:3221927年作成された「千葉県君津郡誌」では上記のように記されている:469朝生惣右衛門建設費用として各々から支払われ630両のうち350両を負担したとされる:325。しかし、完成7年間は年貢免除されており、島立, 西谷 & 大久保 (2014)はこの期間でその費用回収した指摘している:327

※この「蔵玉・折木沢用水」の解説は、「二五穴」の解説の一部です。
「蔵玉・折木沢用水」を含む「二五穴」の記事については、「二五穴」の概要を参照ください。

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