菅野ひろゆき
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菅野 ひろゆき(かんの ひろゆき、1968年5月8日 - 2011年12月19日)は、日本のゲームデザイナー、シナリオライター。旧名義、剣乃 ゆきひろ(けんの - )。本名、菅野 洋之(読み同じ)[1]。東京都出身[1]。コンピュータゲーム開発会社・株式会社アーベルの創業者で、同社の初代代表取締役社長を務めた。
注釈
- ^ 法政大学法学部は社会人入学。『菅野ひろゆきメモリアル』を参照。中央大学法学部卒は、行政書士であるひろゆきに対し3歳年上の兄・菅野洋紀氏によるプロフィールである(2018年現在、アーベル代表取締役を務めている)。
- ^ プログラムは本名の「菅野洋之」名義であり、シナリオは「剣乃ゆきひろ」名義
- ^ 両作品はいずれもPC98用
- ^ 「小説現代別冊ファウスト」(講談社、2004年)インタビューで彼は「エルフの環境があったからこそYU-NOを作ることができた」と述べている。
- ^ DC移植版による。PC版はノンクレジット。
- ^ シナリオ担当者が「Hiroyuki.K」となっているため、ひろゆきを指すとみられる。[誰によって?]
- ^ 当初DCで開発が発表された時に、企画・シナリオとして紹介された。
- ^ 「妃路雪≠卿」名義。
出典
- ^ a b c 菅野ひろゆき氏死去 43歳 人気ゲームクリエーター - スポーツニッポン、2011年12月27日(2016年7月21日時点のアーカイブ)。
- ^ a b c d メディアファクトリー (著) 2001, p. 43.
- ^ a b 太田克史(編) 2004, p. 489.
- ^ a b c d e f g 江島みなみ(著) 2013, p. 64.
- ^ 太田克史(編) 2004, pp. 489–490.
- ^ 太田克史(編) 2004, p. 490.
- ^ 太田克史(編) 2004, pp. 492–493.
- ^ a b 太田克史(編) 2004, p. 493.
- ^ a b c d e 江島みなみ(著) 2013, p. 65.
- ^ 太田克史(編) 2004, pp. 486–487.
- ^ 太田克史(編) 2004, p. 488.
- ^ a b 太田克史(編) 2004, p. 486.
- ^ 江島みなみ(著) 2013, p. 12.
- ^ a b 太田克史(編) 2004, p. 487.
- ^ 辰巳出版(編) 1997, p. 123.
- ^ a b SPECIAL INTERVIEW:アーベル代表取締役/菅野ひろゆき氏(剣乃ゆきひろ氏)01 - ウェイバックマシン(1998年12月6日アーカイブ分)
- ^ “今だから言えるけど、入院中は~ - 菅野ひろゆき本人によるツイート”. @YukihiroKenno (2011年9月8日). 2019年6月7日閲覧。
- ^ 株式会社アーベル社員一同. “菅野ひろゆき死去のお知らせ” (日本語). 株式会社アーベル. 2011年12月26日閲覧。
- ^ a b c 江島みなみ(著) 2013, p. 9.
- ^ 江島みなみ(著) 2013, p. 69.
- ^ 江島みなみ(著) 2013, p. 10.
- ^ 江島みなみ(著) 2013, p. 13.
- ^ 江島みなみ(著) 2013, p. 7.
- ^ 太田克史(編) 2004, pp. 491–492.
- ^ 太田克史(編) 2004, p. 495.
- ^ 太田克史(編) 2004, pp. 487–488.
- ^ 太田克史(編) 2004, p. 492.
- ^ a b 太田克史(編) 2004, pp. 499–500.
- ^ “MAGES.の浅田誠さんを直撃。『ANONYMOUS;CODE』や『ミステリート』の現状、新機軸のタイトルの経緯とは!?”. 電撃オンライン (2021年11月11日). 2021年11月12日閲覧。
- 1 菅野ひろゆきとは
- 2 菅野ひろゆきの概要
- 3 作品
- 4 脚注
固有名詞の分類
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