荘園制から一円知行へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/05 16:22 UTC 版)
「東北地方の経済史」の記事における「荘園制から一円知行へ」の解説
平安時代の荘園制に引き続き、鎌倉時代以降の守護・地頭の時代にも、荘園を基礎にした土地分割がされていたため、例えば盆地内にはいくつもの荘園が存在する様相となり、盆地全体が一つの地域としてまとまっていなかった。当時の税は、京に住む公家(荘園領主)の取り分、在地の武家である地頭(室町時代の半済令後は守護)の取り分などに分かれる。 守護大名・戦国大名は、武力を背景にして荘園を解体し、盆地全体を一つの地域(領国)として領国支配を確立した。また、税体系を大名に一元化(一円知行)したため、経済活動も活発化した。室町時代中頃、盆地内の領国支配をいち早く行っていた福島盆地の伊達氏が、北へ(仙南地方)西へ(米沢盆地)と進出した。戦国時代中・後期になると、戦国時代初期頃から外征や婚姻でさらに勢力を拡大していた伊達氏が天文の乱を起して衰退し、その機を生かしてそれまで伊達氏に従っていた南東北の奥羽山脈の西側に連なる盆地群で、盆地内の領国支配を確立した戦国大名が勢力を伸ばす。山形盆地の最上氏、会津盆地の蘆名氏などが、山を越えて征服活動を活発化させ太平洋側へも進出した。伊達氏は本拠を米沢盆地に移し立て直した後、伊達政宗の時代になって大勢力を築いた。
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