荒野修道院の成立
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「ロシア正教会の歴史」の記事における「荒野修道院の成立」の解説
モスクワ対トヴェーリの抗争が終息に向かい、1328年に始まり40年間続く「大いなる平和(静寂)」を迎えたルーシで、中部・北部ロシアの原生林に多くの荒野修道院が建設されていった。 先述したキエフ洞窟修道院にみられる通りそれまでのルーシにも修道院は存在していたが、中部・北部ロシアの原生林に多くの荒野修道院が建設され、精神面、物質面問わずあらゆる面において、ルーシに地殻変動をもたらした。東ローマ帝国で起きていたヘシュカスムが修道士のネットワークを通じてもたらされたことも影響している。ロシアの広大な原生林での修行は、中東の正教会の修道士が行っていた砂漠での修行と似通ったものとして捉えられた。 1345年、のちに至聖三者聖セルギイ大修道院に発展する修道院がラドネジの聖セルギイにより創始された。当初は小さな木造教会を有するだけの修道院だったが、こうした荒野修道院運動の主要な担い手として瞬く間に修道院の規模は拡大。至聖三者聖セルギイ大修道院からだけでも8つの都市修道院、27の荒野修道院が生まれている。至聖三者聖セルギイ大修道院は後々、帝政ロシア・現代ロシアに至るまで、ロシア正教会最大級の修道院として大きな影響力を有することとなる。 ソロヴェツキー諸島の修道院群も、1429年にサヴァーチイにより、その基礎となる庵が建てられたことに出発している。サヴァーチイの死後、ノヴゴロド出身のゾシマが白海修道院を建設し、修道院群発展の道筋をつけた。のちのソ連時代に強制収容所に転用されたこともある(後述)ほどその環境は過酷なものであるところに、当時の荒野修道院の目指した土地の有様が垣間見える。 自給自足を原則とした農業共同体としての修道院は、精神面ではモンゴルによる恐怖政治と相次ぐ戦乱にあえいでいた人心の安定に大きく寄与した。物質面では無人の原生林を開拓して国土開発を行った。14世紀に至るまで戦乱のために行われることのなかった西欧の農業技術(輪作)の導入を行う主体ともなり、ルーシの農業技術の改良にも貢献したと考えられている。 また当時の修道士達の足跡は、後代、ロシア正教会のみに留まらない正教会全体に大きな影響を及ぼすものとなった。当時活躍したイコン画家であり修道士でもあったアンドレイ・ルブリョフのイコン「至聖三者」は、正教会のみならずカトリック教会でも使用されることがある。
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