荒野の聖地サロフ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/02 05:01 UTC 版)
サロフの歴史は12世紀から13世紀ごろ、モルドヴィン人の大きな集落があった時期に遡る。1298年にはタタール人がこの町を併合した。「サロフ」という地名は、サロフカ川という小川のそばにあったサロヴァ修道院(サロフスキー修道院、サロフ修道院)に由来する。サロフカ川の水は癒しの力があると昔から信じられていた。1664年にテオドシウスという修道士が森に入り、以後数人の修道士が森での修行生活を送った。1705年には地元の貴族がサロフカ川沿いの土地を修道士らに寄進し、1706年には最初の聖堂が建った。 克肖者サロフのセラフィムは1778年から1833年までサロフで生活した。最初は修道院で修行したが晩年は一人森の中に庵を建てて隠遁し、訪れる巡礼者らに教えを説いた。1903年にセラフィムは列聖され、ロシア皇族がサロフに訪問した。20世紀初頭には修道院に収められたサロフのセラフィムの不朽体への崇敬のため非常に多くの人々が巡礼に訪れ、9つの聖堂(1つは地下聖堂)があり、修道院には320人の修道士がいた。 1927年、修道院はソ連政府により閉鎖され、修道士の多くは追放・処刑された。修道院の建物は内務人民委員部(NKVD)の収容所となり、第二次世界大戦中は多連装ロケットランチャーBM-13(カチューシャ)用のロケット弾の製造工場に転用された。修道院の周辺にあった集落は1939年に市となっている。
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