花山信勝とは? わかりやすく解説

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花山信勝

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/04 03:55 UTC 版)

花山 信勝
人物情報
生誕 (1898-12-03) 1898年12月3日
日本石川県金沢市
死没 1995年3月20日(1995-03-20)(96歳没)
出身校 東京帝国大学
子供 花山勝道(僧侶)
花山勝友(仏教学者)
学問
研究分野 仏教学
研究機関 東京大学
学位 文学博士号
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花山 信勝(はなやま しんしょう、1898年明治31年)12月3日 - 1995年平成7年)3月20日)は、日本の仏教学者浄土真宗本願寺派僧侶東京大学名誉教授

経歴

出生から修学期

1898年、石川県金沢市で生まれた。第四高等学校を卒業し、東京帝国大学印度哲学科に進学。卒業[1]後に同大学大学院に進んで日本仏教史を専攻した。

仏教学者として

修了後は東洋大学教授に就いた。後に東京大学文学部教授、國學院大學教授を務めた。1935年、『聖徳太子御製法華経義疏の研究』で学士院恩賜賞を受賞。1942年、学位論文『勝鬘経義疏の上宮王撰に関する研究』を提出して文学博士号を取得[2]

太平洋戦争後、巣鴨拘置所教誨師として

1946年2月より、東大教授を務める一方で巣鴨拘置所教誨師となり、東條英機ら7人のA級戦犯の処刑に立ち会った。その時の模様を『平和の発見:巣鴨の生と死の記録』に記した[3]。東條は「米国憲兵と一緒に合掌するのも仏縁だね」と笑っていた、と書き残している。なお被告の重光葵の手記『巣鴨日記』には、長期間の収監で精神的に消耗していた被告たちにとって、花山との接触はひとつの救いでもあった、という旨の記述がある[4]

宗門においては、金沢市の浄土真宗本願寺派・宗林寺住職を務めた。1995年に死去。

受賞・栄典

家族・親族

  • 長男:花山勝道は金沢市の浄土真宗本願寺派宗林寺・住職。
  • 次男:花山勝友も仏教学者。武蔵野女子大学副学長などを務めたが、父の後を追う形で同じ1995年6月に病没した。なお、次男勝友や門下生達との座談会での回想が「花山信勝博士を囲んで」『東方学回想Ⅵ 学問の思い出 2』にある。

著作

著書
  • 『聖徳太子御製 法華義疏の研究』東洋文庫 1933
  • 聖徳太子の仏教』仏教年鑑社 1936
  • 『聖徳太子と日本文化』日本文化協会(日本精神叢書) 1937
  • 『日本の仏教』内閣印刷局(国体の本義解説叢書) 1942
  • 『憲法十七条の精神』厚徳書院 1943
  • 『日本仏教』三省堂 1944
  • 『勝鬘経義疏の上宮王撰に関する研究』岩波書店 1944
  • 『白道に生きて』(顕真叢書 1) 北方出版社 1948
  • 『平和の発見 巣鴨の生と死の記録』朝日新聞社 1949
    • 改訂『平和の発見』百華苑 1970、再版1985、1993
      • 新装復刻 方丈堂出版 2008、普及版 2017
    • 改題『巣鴨の生と死:ある教誨師の記録』中公文庫 1995
    • La via della pace - Tre anni nelle prigioni di Sugamo con i criminali di guerra giapponesi (Biblioteca mondiale Bocca, Scrittori Giapponesi 1); Milano, Fratelli Bocca Editori,1954; Traduzione di Giuseppe Morichini ジュセッペ・モリキーニ.
    • La Voie de l'éternité: Comment surent mourir les criminels de guerre japonais; Paris, Guy Le Prat, éditeur, 1973; traduction de Pierre Pascal ピエール・パスカル .
  • 『万世を照らすもの:仏教学徒の記録』酣燈社 1949
  • 『永遠への道:わが八十年の生涯』日本工業新聞社 1982
  • 『聖徳太子と憲法十七条大蔵出版 1982
  • 太平洋戦争とお念仏永田文昌堂(国際真宗学会・ブックレット) 1986
訳註・校訂

花山信勝に関する資料

評伝
  • 小林弘忠『巣鴨プリズン:教誨師花山信勝と死刑戦犯の記録』中公新書 1999、改訂版 中公文庫 2007
  • 『A級戦犯者の遺言:教誨師・花山信勝が聞いたお念仏』青木馨編、法藏館 2019
回想

参考文献

脚注

  1. ^ 『官報』第2614号、大正10年4月21日、p.659.NDLJP:2954729/14
  2. ^ CiNii(学位論文)
  3. ^ 世相風俗観察会『増補新版 現代世相風俗史年表 昭和20年(1945)-平成20年(2008)』河出書房新社、2003年11月7日、26頁。ISBN 9784309225043 
  4. ^ 文藝春秋1952年昭和27年)8月号掲載、翌年に文藝春秋新社刊
  5. ^ 花山勝友による『現代語訳 往生要集』(徳間書店 1972)がある。

花山 信勝(はなやま しんしょう)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/20 19:43 UTC 版)

ヤミの乱破」の記事における「花山 信勝(はなやま しんしょう)」の解説

スガモプリズン教誨師収監者たちの境遇同情の念を抱いている。

※この「花山 信勝(はなやま しんしょう)」の解説は、「ヤミの乱破」の解説の一部です。
「花山 信勝(はなやま しんしょう)」を含む「ヤミの乱破」の記事については、「ヤミの乱破」の概要を参照ください。

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