良寛研究と晩年
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1952年(昭和27年)に朝日新聞社「日本古典全書」で『良寛歌集』を校註。1957年(昭和32年)に『良寛和尚の人と歌』を刊行。近藤万丈の手記を通して漢詩や万葉集の影響を受けた短歌、良寛の修行ぶりを解説している。没後に『良寛 歌と生涯』が刊行された。 1958年(昭和33年)に『吉野秀雄歌集』(『寒蝉集』、『晴陰集』(新編)を収録)を刊行。八木重吉詩稿『花と空と祈り』を選詩集として刊行。翌年、読売文学賞を受賞。1963年(昭和38年)より毎日新聞に「心のふるさと」を連載開始。1966年(昭和41年)随筆集『やわらかな心』を刊行。1967年(昭和42年)に第1回迢空賞を受賞。 晩年は病床につき、時に選歌、揮毫を行うが、外出も稀になる。寝こんだり吐血するようになり、糖尿病、リウマチにも罹患している。晩年に訪れた中野重治によると、生涯貧乏であったという。没後に芸術選奨を受賞した。 1967年(昭和42年)に心臓喘息のため鎌倉市の自宅で永眠。鎌倉瑞泉寺にて埋葬。法名は艸心堂是観秀雄居士。
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