良寛は、貞心尼に返歌の手紙を贈る(文政10年秋 閏六月二十四日)
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「貞心尼」の記事における「良寛は、貞心尼に返歌の手紙を贈る(文政10年秋 閏六月二十四日)」の解説
やがて立秋が過ぎ、良寛は島崎へ帰ってきた。そして貞心の贈り物と歌を見、関心を持ったのである。そこで良寛は、貞心へ手紙を贈った。すぎしころは、てまりみうたをそへてたまはり、うやうやしくをさめまいらせ候 つきてみよひふみよいむなやこゝのとを とをとおさめてまたはじまるを みなづき廿四日 貞心上座 良寛 この年は、六月に閏月があった。この手紙は、〔文政十年〕閏六月二十四日付のものである。陽暦では、八月十六日だった。そろそろ萩の花が咲こうとする時節である。歌の初めに「つきてみよ」とある。「毬をついてみなさい」の意味のほか、「自分に就いて修行してみなさい」に意味もこめられていよう。暗に、良寛が貞心の弟子入りを認めた形になっている。また良寛は歌で、仏法が無限で量り知れないことを教えている。〔中略〕ただ、この書簡を手にして貞心が直ちに島崎へ赴いたとしても、それは早くても七月に入ってからであろう。良寛の書簡は塩入峠を越えて与板の「あぶらや」に運ばれ、折よい船便によって長岡へ運ばれる。そして、長岡に止められる。貞心は托鉢のついでなどで立ち寄って受け取るのであるから、現在の運送事情とは、大いに異なったのである。 — 谷川敏朗 、「良寛と貞心のこころ」『良寛と貞心 その愛とこころ』1993, pp. 21~23
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