良寛は、貞心尼に返歌の手紙を贈るとは? わかりやすく解説

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良寛は、貞心尼に返歌の手紙を贈る(文政10年秋 閏六月二十四日)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/07 05:42 UTC 版)

貞心尼」の記事における「良寛は、貞心尼に返歌の手紙を贈る(文政10年秋 閏六月二十四日)」の解説

やがて立秋が過ぎ、良寛島崎帰ってきた。そして貞心贈り物と歌を見、関心持ったのである。そこで良寛は、貞心手紙贈った。すぎしころは、てまりみうたをそへてたまはり、うやうやしくをさめまいらせ候 つきてみよひふみよいむなやこゝのとを とをとおさめてまたはじまるを みなづき廿四日 貞心上座 良寛 この年は、六月閏月があった。この手紙は、〔文政十年〕閏六月二十四日付のものである陽暦では、八月十六日だった。そろそろ萩の花咲こうとする時節である。歌の初めに「つきてみよ」とある。「毬をついてみなさい」の意味のほか、「自分に就いて修行してみなさい」に意味もこめられていよう暗に良寛貞心弟子入り認めたになっている。また良寛は歌で、仏法が無限で量り知れないことを教えている。〔中略〕ただ、この書簡を手にして貞心直ち島崎赴いたとしても、それは早くて七月入ってからであろう良寛書簡塩入峠を越えて与板の「あぶらや」に運ばれ、折よい船便によって長岡運ばれる。そして、長岡止められる貞心托鉢のついでなどで立ち寄って受け取のであるから、現在の運送事情とは、大い異なったのである。 — 谷川敏朗 、「良寛貞心のこころ」『良寛貞心 その愛とこころ』1993, pp. 2123

※この「良寛は、貞心尼に返歌の手紙を贈る(文政10年秋 閏六月二十四日)」の解説は、「貞心尼」の解説の一部です。
「良寛は、貞心尼に返歌の手紙を贈る(文政10年秋 閏六月二十四日)」を含む「貞心尼」の記事については、「貞心尼」の概要を参照ください。

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