自社さ連立政権発足とは? わかりやすく解説

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自社さ連立政権発足

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 06:10 UTC 版)

村山富市」の記事における「自社さ連立政権発足」の解説

1994年4月細川護熙内閣総理大臣辞任表明すると、連立与党次期首班新生党党首羽田孜細川内閣副総理外務大臣)を推すことで合意し国会で羽田首相に指名された。しかし、首班指名直後新生党日本新党民社党などが社会党抜きで院内会派改新」を結成する発表社会党与党内での影響抑えるためのもので、「改新」は連立与党内で社会党大きく上回る最大勢力となった。しかし社会党には事前の相談がなかったため、村山はこれに強く反発して社会党連立離脱表明羽田内閣少数与党発足することとなる。羽田政権下、社会党内では久保亘佐藤観樹上原康助赤松広隆らが連立復帰主張する一方山口鶴男大出俊野坂浩賢らは連立離脱支持した6月25日進退窮まった羽田内閣総辞職し社会党巡り自民党連立与党協議を行うなか、自民党総裁河野洋平社会党委員長首班連立政権打診し自社さ共同政権構想合意した。しかし、自民党総裁経験者である海部俊樹が「社会党委員長首班支持できない」と主張し、それに中曾根康弘同調し連立与党海部俊樹統一候補指名した6月29日首班指名が行われるが、衆議院過半数達せず決選投票となったその結果村山指名決選投票海部破って内閣総理大臣指名され自社さ連立政権内閣発足した。ここに1947年片山内閣以来47年ぶりの社会党首班内閣誕生となったまた、1955年自民党誕生以降から2010年6月民主党菅直人内閣総理大臣に就任するまでの間では、自民党籍を有したことのない唯一の内閣総理大臣であった

※この「自社さ連立政権発足」の解説は、「村山富市」の解説の一部です。
「自社さ連立政権発足」を含む「村山富市」の記事については、「村山富市」の概要を参照ください。

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