問題発言により環境庁長官を辞任
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「桜井新」の記事における「問題発言により環境庁長官を辞任」の解説
1994年6月30日、村山内閣で環境庁長官として初めて入閣。同年8月12日午前の閣議後の記者会見で、日中戦争、太平洋戦争に関して次のように述べた。 日本は侵略戦争をしようとして戦った訳ではない。日本だけが悪いという考えで取り組むべきではない。戦争の結果、アジアは植民地支配から独立し、教育も普及して、長く欧州とかかわっているアフリカよりはるかに識字率が高い。経済復興の勢いが出てきて民族活性化にもつながった。 8月15日の終戦記念日や、村山富市首相の8月23日からの東南アジア諸国連合訪問を控えていたことから、この発言は大きく取り上げられることとなった。村山首相はすぐに「発言は適切ではない」とコメントを発表。発言当日に社会党内部に自社さ連立政権発足への反対勢力があり、発言を問題視した一部が桜井の辞任を強く要求。8月14日、桜井は就任後約1カ月半で環境庁長官を辞職した。 1996年の総選挙では新潟2区から立候補し6期目の当選を果たす。 1998年、清和会を離脱し、亀井、平沼らと独立した派閥「亀井グループ」を旗揚げ[要出典]。翌年、江藤・亀井派の結成に参加する[要出典]。2000年の第42回衆議院議員総選挙で落選。
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