自由美術協会時代
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1939年、独立美術協会を脱退し、自由美術協会に出品、同協会の会員に推薦される。 1943年、戦争の激化により、画業を離れ、東宝撮影所特別映画班に勤務。 1945年、米軍による空襲を受け、恵比寿の自宅が全焼、戦前に制作した作品の大半を失う。 1947年、第1回日本アンデパンダン展(日本美術会主催)に出品。同年、東宝教育映画部製作の記録映画「ちどり」(下村兼史監督・脚本、9月25日に日比谷映画劇場で公開)にもとづく書籍『ちどり』(望月衛・文、下村・作、東宝撮影所編、まひる書房)の挿画を描く。 1950年、第14回自由美術展に「二人」を出品。 1951年、サンパウロ・ビエンナーレ展に出品。同年以降、武蔵野美術学校で後進の指導にあたる。 1954年、『創元社 世界少年少女文学全集 23(南欧篇1)』のカラー口絵を描く。 1955年冬、佐藤忠良の先達で、常磐炭坑を鳥居敏文、朝倉摂、中谷泰、吉井忠、竹谷富士雄、西常雄、岩松光一郎らと旅行。 1957年、武蔵野美術大学教授となる。岩波少年文庫『小さな魔法使い』(ジャニーヌ・パピイ、大島辰雄訳)に挿絵を描く。『日本百選画集 森芳雄』(美術書院)刊行。 1962年、神奈川県立近代美術館で「麻生三郎・森芳雄二人展」開催。渡欧する。
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