自由経済地域
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/12 03:16 UTC 版)
1990年にゴルバチョフ政権がウラジオストクを開放したことで商港としての重要性は低下した。しかし同年10月24日、ナホトカは自由経済地帯に指定された。1990年から1997年まで政府はナホトカでのSTZプロジェクトに46億4,500万ルーブルを投資し、大部分が地域のインフラストラクチャーの発展に費やされた。118の共同ベンチャーが立ち上げられ、投資規模はおよそ2億2,000万米ドルであった。自由経済地帯の優先的なプロジェクトは、ロシア・アメリカ共同のテクノパーク、ロシア・韓国共同のテクノパーク、ナホトカ空港、ボストーチヌィ港の石油積載ターミナル、ナホトカ熱併給発電所であった。しかし大きなプロジェクトは一つも実現されず、2006年にはナホトカの自由経済地域を設置する旨の政令が失効し、ナホトカの自由経済地域は終わりを迎えた。 1990年代には複数のギャング団が市内各地に縄張りを持って影響力を増し、市内では犯罪件数が増大した。なかでもヴェプサというギャング団が最も有名だった。 1993年7月14日深夜0時20分、ナホトカで地震が発生し、1時30分に津波警報が発令された。人々は自分の家を捨てて高所に逃げた。白鳥丘では大混乱が起こった。
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