自民党復党から新進党へとは? わかりやすく解説

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自民党復党から新進党へ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 09:09 UTC 版)

西岡武夫」の記事における「自民党復党から新進党へ」の解説

1986年昭和61年)の総選挙当選した後は宮澤派所属文教族としてキャリア積み1988年昭和63年)に発足した竹下改造内閣文部大臣として初入閣。続く宇野内閣でも文相留任した1989年平成元年)、海部内閣消費税見直し持ち上がった際、辞任した自民党税制調査会長の山中貞則代わり後任税制調査会長に就任1990年平成2年2月早稲田大学雄弁会及び三木派先輩で、同じ文教族である海部俊樹首相の強い意向自民党総務会長就任し党三役入り幹事長竹下派小沢一郎政務調査会長安倍派加藤六月であった。のちに総裁海部含めた四人自民党を離党し、新進党結党に至るが、この時期にその強い関係ができたと思われる同年12月党三役リクルート事件からの謹慎明け加藤紘一送り込みたい宮澤派西岡総務会長職の交代求めるが、これを拒否したため、派閥から除名政治改革頓挫したのを契機海部内閣総辞職した後、海部会長とする政治改革推進協議会自民党結成1993年平成5年)の第40回衆議院議員総選挙では、自民党から立候補し当選するが、政治改革推進派として執行部批判強め梶山静六幹事長党内の混乱収拾するために「結束前進の会」を作ろうとしたときはこれを「屋上屋を架すもの」と批判した結局西岡同年12月自民党を再び離党改革の会代表、自由改革連合事務局長経て1994年平成6年)に新進党結党参画し、海部党首実現に動く。国会対策委員長幹事長歴任小沢一郎補佐するが、1997年平成9年)に新進党解党した。

※この「自民党復党から新進党へ」の解説は、「西岡武夫」の解説の一部です。
「自民党復党から新進党へ」を含む「西岡武夫」の記事については、「西岡武夫」の概要を参照ください。

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