脱税と獄中生活
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/11/24 21:08 UTC 版)
ラルフは国税庁に経済的な窮乏を訴えておきながら、裕福なのは歴然だったし、税金も滞納していた。そのため、合衆国政府に対する詐欺行為で起訴された。1929年10月8日に逮捕され、翌朝3万5千ドルという巨額の保釈金で釈放された。翌年の4月に裁判が行われることになった。ラルフの所得税法違反の裁判が1930年4月に行われ、合計22年の懲役と4万ドルの罰金を科せられた。脱税で起訴されてレヴンワース連邦刑務所で3年間服役することになっていたが、上訴による上訴という戦法で入獄を先送りにしてマイアミで自由に生活していた。しかし、最後の上訴も却下され、1931年11月5日にシカゴの連邦ビルに出頭し、レブンワース刑務所へ入る、そこにはサム・グージック(ジェイク・グージックの弟)とフランク・ニティが収監されていた。カポネ一味が同じ刑務所にかたまっていることに危惧した司法長官が全国の連邦刑務所長に彼らを分散して収監するよう命じた。そのためラルフはマクニール島州刑務所へ再収監された。刑期は1934年11月6日までだった。 刑務所では道路補修作業員として働き、やがて囚人食堂の料理人になる。彼は刑務所の中でも無罪を訴え続けた。1934年2月、ラルフの弁護士が1万ドルの罰金を払い、ラルフは2年少々服役してマクニール島刑務所を出所、服役態度がよかったため、刑期を短縮された。服役中は料理人として働き(囚人のあいだでは香辛料を使いすぎという文句が出た)、野球をし(ポジションは囚人チームの正一塁手)、スペイン語も少し覚えた。刑務所生活で30ポンド近く痩せた。妻のヴァルマが本土に着いたラルフを出迎え2人はリムジンで帰っていった。禁酒法は終わっていたが、再びギャングスターへもどる。このときマスコミたちは禁酒法が終わっておりラルフは失業者だと失笑した。
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