背乗り・結婚
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 00:09 UTC 版)
「黒羽・ウドヴィン事件」の記事における「背乗り・結婚」の解説
捜査からは、黒羽一郎の失踪は事件性の無いものとされたが、翌1966年冬、「黒羽一郎」なる人物が東京・赤坂の宝石会社に勤め、得意先を各国の大使館とし、英語・ロシア語・スペイン語を話せるマルチリンガルの真珠のセールスマンをしていたことが判明した。「黒羽一郎」は1969年に新宿区高田馬場に戸籍を分籍、新宿区戸塚町に移住した。海外に長期滞在していた危機管理会社の社長の留守宅の管理人となり、社長宅の敷地内に無断でプレハブ小屋を建てて、「黒羽製作所」という看板を掲げたパチンコ機械の製造屋稼業を開始している。危機管理会社の社長は帰国後に家賃滞納までする「黒羽」に立ち退き訴訟を起こしたが、「黒羽」に狙われていたのか関東軍情報部で対ソ連電波傍受を担当していた人物であった。1975年に「黒羽一郎」は東京新宿出身で6歳年下の日本人女性と結婚し、中野区の分譲マンションを購入・転居した。1985年に再び練馬区のマンションに転居していることが確認されている。この黒羽になりすました男のスパイ活動をサポートしていたのが、本物の黒羽が失踪した2カ月後の1965年8月から1970年12月まで駐日ソ連大使館に三等書記官の形で赴任していたKGB(ソ連国家保安委員会)諜報員P・V・ウドヴィンであり、日本にいる自国スパイの監視役であった。深夜の郊外の住宅街を徘徊していたことが記録されている。ウドヴィンは2回目の日本配属でも日本に1977年4月から二等書記官として1981年10月まで活動した。この時にも人が少ない神社仏閣を徘徊するという謎の行動が確認されていた。ソ連崩壊でKGB第一総局が分離独立し、SVRと名前変更後の1993年10月に、一等書記官として3度目の来日をしてきた。
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