義理の息子ロマンとは? わかりやすく解説

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義理の息子ロマン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 02:21 UTC 版)

リューリク・ロスチスラヴィチ (キエフ大公)」の記事における「義理の息子ロマン」の解説

ルーシ内戦 (1195年 - 1196年)」も参照 リューリクは、娘のプレドスラヴァとヴォルィーニ公ロマン(ガーリチ・ロマン家の祖)との婚儀成立させた。それはおそらく1181年のことであったロマン1188年ガーリチ公位を得るが、ハンガリー王国軍の進入の報を聞くガーリチから逃亡しリューリク援助求めたリューリクロマンにいくらかの軍隊与えたが、それはガーリチ奪回には不十分であった。また共同統治者スヴャトスラフが、リューリク対しオーヴルチなどキエフ近郊の諸都市と、ガーリチとの交換提案したが、リューリクはこれを拒否したこの後リューリクロマンが元のヴォルィーニ公復位できるよう外交的援助図りロマンヴォルィーニ公に戻ることができたが、これはこの時のヴォルィーニ公フセヴォロドの望むところではなかった。 1194年スヴャトスラフ死にリューリクキエフ大公位を得た同時にチェルニゴフ公ノヴゴロド・セヴェルスキー公席巻するチェルニゴフ・オレグ家(ru)との紛争が始まることとなった1195年リューリク義理の息子であるロマンに、キエフ地区大半にあたるポロシエトルチェスク、トレポリ、コルスンボグスラフ、カネフの5都市を含む)を与えた。しかしウラジーミル大公フセヴォロドがこれに介入し、5都市自身所領とさせた後、トルチェスクリューリクの子且つ、フセヴォロドの娘の夫にあたる)のロスチスラフ与えたロマンはこれに反発し、妻プレドスラヴァ(リューリクの娘)と離縁すると、オレグ家のチェルニゴフ公ヤロスラフ同盟結んだ1196年秋、ロマン自身配下に、リューリク所領荒らすよう指令出し、さらにガーリチ公ウラジーミルの軍をリューリク領に繰り出した一方リューリクチェルニゴフ攻撃したが、チェルニゴフ公国北東逆茂木による防衛線を撃破できなかった。なお、1199年ガーリチ公ウラジーミル死亡したのち、ロマンは自領のヴォルィーニ公国ガーリチ公国併合している(ガーリチ・ヴォルィーニ公国)。 1201年オレグ家と同盟結んだリューリクは。ガーリチへの遠征行おうとした。しかしロマンリューリク先んじチョールヌィ・クロブキ自陣営に引き込み、ガーリチ・ヴォルィーニ軍をキエフ繰り出したキエフ市民は自ら門を開けリューリクキエフ放棄余儀なくされた。ロマン従兄弟ルーツク公イングヴァリをキエフ大公位に就けた。しかし、1203年1月2日リューリクオレグ家・ポロヴェツ族連合組みキエフ占領(ru)した。連合軍キエフの街で略奪行いリューリクキエフ大公位をも奪った同年リューリクロマン組織した、南ルーシ諸公連合軍によるポロヴェツ族への遠征参加した。その帰路リューリクロマンはトレポリで進軍停止すると、所領に関する交渉始めた交渉まとまらず交渉の席の最後において、ロマンリューリクとその息子たち捕縛したリューリクキエフ送られ修道士させられた。その妻のアンナ、娘のプレドスラヴァ(かつてのロマンの妻)も同様であり、リューリク息子ロスチスラフウラジーミル捕虜としてガーリチ送られた。しかし、ウラジーミル大公フセヴォロドの仲裁によって、リューリク息子ロスチスラフウラジーミル大公フセヴォロドの娘を妻とする)がキエフ大公位に就けられた。 1205年6月19日ロマンポーランドへの遠征の際に死亡した(ru)。それを知ったリューリク修道院出てキエフ大公位に復位した。なお、妻のアンナはスヒマ(ru)として修道院残ったまた、スモレンスク公ムスチスラフリューリクの甥)、ポロヴェツ族を含むオレグ家の諸公チェルニゴフ諸公会議開催しロマンの子の持つキエフ領域の地の継承リューリク元におさめさせるために、ガーリチへの遠征行った諸公連合軍セレト川河岸でガーリチ・ヴォルィーニ軍と遭遇し、これをガーリチ撤退させたが、都市を陥すことはできなかった。

※この「義理の息子ロマン」の解説は、「リューリク・ロスチスラヴィチ (キエフ大公)」の解説の一部です。
「義理の息子ロマン」を含む「リューリク・ロスチスラヴィチ (キエフ大公)」の記事については、「リューリク・ロスチスラヴィチ (キエフ大公)」の概要を参照ください。

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