編年論
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2015/12/23 22:17 UTC 版)
ミシシッピ文化の発展段階は通常三期に区分されるか、さらに細かい時期区分がなされる。それぞれ地域ごとに異なる依然としてあいまいな部分のある時代区分である。ある場所でのそれぞれの開始時期は、上記ミシシッピ文化の特徴の採用や発展の速度によって早くなったり遅くなったりしていると考えられる。 初期ミシシッピ文化は後期ウッドランド期(Late Woodland)(500年から1000年)からの変化を始めた時期に相当する。異なる集団が種族の生活様式を棄てて、社会構造の複雑化、定住、集権化および農業を始めた。初期ミシシッピ文化はほとんどの場所で1000年から1200年ころと考えられる。 中期ミシシッピ文化はしばしば、ミシシッピ文化の頂点とも考えられている。カホキア以外にも複雑な首長制国家が作られ、サザン・カルトの美術や象徴体系の広がりと発展がこの時期の特徴的変化である。上記ミシシッピ文化の特徴が地域内にあまねく広まるようになった。中期ミシシッピ文化はほとんどの場所で1200年から1400年ころと考えられる。 後期ミシシッピ文化は通常1400年ころからヨーロッパ人による接触までと考えられ、戦争の増加、政治的動揺および人々の移住で特徴付けられる。カホキアの人々はこの時期の早くに(1350年-1400年)分散し、恐らくは他の新しく政治力をもった祭祀センターに移動した。場所によってより防御柵などを築いているのが観察され、時にマウンドを築いたり儀式を重んじたりすることは減少した。ある地域ではヨーロッパ人との最初の意味ある接触まで実質的に中期ミシシッピ文化に留まっていたが、ほとんどの地域では1500年までに散り散りになるか、厳しい社会的な緊張感を経験していた。
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