編成から改編まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/22 14:38 UTC 版)
「第一四一海軍航空隊」の記事における「編成から改編まで」の解説
1944年(昭和19年)2月から3月にかけて、海軍は基地航空隊の充実化を目指して、複数の航空隊を相次いで編成し、第一航空艦隊第六二航空戦隊に編入した。これらの航空隊は、有力な攻撃航空隊として養成すべく、5月5日付で連合艦隊附属に引き抜かれた。6月15日、第二航空艦隊を新たに編成したうえで編入し、「あ号作戦」には投入せずに訓練を重ねた。あ号作戦が失敗したことを受け、フィリピン戦線に投入すべく再編し、三二二空は一四一空に吸収合併された。 一四一空は1944年(昭和19年)3月15日、大分飛行場を原隊として三重海軍航空隊で開かれ、第一鈴鹿飛行場に駐留した偵察機隊。宇都米二司令以下、定数24機の偵察隊とされ、「暁部隊」の符牒を持つ。機種は彗星の偵察機仕様型-二式艦上偵察機-が主力だが、記録には爆撃機仕様の「彗星」と記述したものも多くあり、実際に彗星が混用されていたのかは定かではない。一本化後は攻撃第3飛行隊・偵察第4飛行隊に再編された。定数は両飛行隊とも24機となり、総定数は倍増されたが、各11機の保有にとどまっており、当初の定数にも達していない。
※この「編成から改編まで」の解説は、「第一四一海軍航空隊」の解説の一部です。
「編成から改編まで」を含む「第一四一海軍航空隊」の記事については、「第一四一海軍航空隊」の概要を参照ください。
- 編成から改編までのページへのリンク