編成から廃止まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/16 19:10 UTC 版)
「第27軍 (日本軍)」の記事における「編成から廃止まで」の解説
第27軍の編成が決められた1944年(昭和19年)2月は、日本軍が南方のガダルカナルで敗れ、北方でアッツ島の戦いを経て、守勢に回ってからおおよそ半年後、連合軍の反攻に備えて防衛体勢を固めていた時期である。北海道・千島では、対アメリカ、対ソ連どちらにおいても大規模な攻撃は予想されていなかったが、部隊数は充実しつつあった。 1944年2月18日の軍令甲第22号により、上級の第5方面軍司令部とともに第27軍司令部の臨時編成が命じられた。第5方面軍は北部軍を改称するもので、札幌に司令部を置いて北海道・樺太・千島という広域の北方防衛任務をそのまま引き継ぐ。うち千島防衛の指揮を、現地に司令部を置く新設の第27軍に任せる計画である。3月16日に第5方面軍と第27軍の戦闘序列が定まり、軍としての活動を開始した。 第27軍が発足した頃、連合軍の本格反攻はマーシャル諸島でまさに始まりつつあった。その後、連合軍は年内にフィリピンに達し、1945年初めには南からの本土上陸の可能性が高まってきた。 1945年(昭和20年)1月22日発令の大陸命第1229号により、第27軍の戦闘序列は解かれ、所属部隊は第5方面軍に直属することになった。第27軍は、2月1日付で廃止された。軍司令部だけは本州に移していったん東部軍司令官の隷下に置き、次いで新編成の第11方面軍司令部兼東北軍管区司令部にあてられた。
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