編年の隔たり
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/21 14:20 UTC 版)
一方では古墳から出土する漢鏡は時代が降る三角縁神獣鏡と共伴する例が少なくない。例えば京都府椿井大塚山古墳は32面の三角縁神獣鏡と共に漢鏡5期の鏡が出土している。このように古い鏡式の漢鏡と、共伴する遺物や古墳の築年代に隔たりがある状況をどのように解釈するかも、古代史において重要なテーマとなっている。1920年代までは古墳から出土する漢鏡の編年に重きを置いて、古墳の築造年代を後漢代まで遡るとする説もあった。1933年の梅原末治の研究によって、長期におよぶ伝世が行われたことで漢鏡の製作年代とそれが副葬される年代に差があると考えられるようになった。これを受けて1955年に小林行雄は、古墳から出土する後漢鏡を弥生時代から伝世した首長権の象徴となった鏡とする伝世鏡論を発表。考古学界では長らくこの仮説の賛否が議論された。1994年には魏の年号である青龍3年(235年)銘の漢鏡5期を模倣した方格規矩四神鏡が発見され、これにより古墳時代には漢鏡を模倣して作られた魏晋鏡が日本に流入したことが確認された。また、立木修や南健太郎は古墳時代の漢鏡は踏み返し鏡である可能性を指摘している。これらを踏まえて辻田は、古墳に副葬される漢鏡(漢式鏡)には、弥生時代から伝世した漢鏡・漢鏡の踏み返し鏡・復古された魏晋鏡が混在していると推測している。 また、鏡の伝世が行われたとする説も、何処で伝世したかについては意見が分かれている。下垣は、2010年代に挙げられている説を以下の5つに分類している。 大陸で鋳造されてすぐに日本の諸地域に流入し、そこで長期間伝世したのちに副葬された。(岡村秀典・岸本直文) 大陸で鋳造されてすぐに北部九州に流入して長期間伝世したのち、各地に流通し副葬された。(柳田康雄) 大陸で鋳造されてすぐに北部九州に流入して長期間伝世したのち、近畿に一括して移動して、それが各地に分配され副葬された。(甘粕健・大賀克彦・下垣仁志) 大陸で鋳造されて長期間伝世したのち、古墳時代に各地に流入し副葬された。(辻田淳一郎) 古墳時代に大陸、あるいは国内で鋳造された踏み返し鏡・模倣鏡などが、各地に流入し副葬された。(立木修・寺沢薫)
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