綿虫と息合ひて世に後れけり
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評 言 |
以前、カメラの広告に「時代なんてアッという間に変る」というキャッチコピーがあったが、まさにその時代となった。インターネット全盛、俳人の手にスマホと称する不可解な道具が握られる。情報を追いかけ、情報に振り回され、人々は狂奔する。 しかし、石田波郷・石塚友二を師と仰いで来た大石悦子には、これらは遠い存在に映る。息を合わせるのは綿虫のあるかなきかの息遣い。かくて、世に後れてしまったと嘆いて見せる。時代へのアイロニーもこういう風に指し示されると、むしろ進んで世に後れたくなる。句集『有情』には、この句の前後に<どこで遇つた魑だつたか雁来紅><三日来ぬ梟よ吾も三日老い>が置かれている。魑も梟も身近にしてこの世に生きて情を解する、俳句の朋としているのである。 よく知られている<口論は苦手押しくら饅頭で来い>の一句に、かつて自註34句のなかで、大石悦子はこうコメントを付けている。「子どもの頃から、論理性の欠如を指摘されてきた。それが顕著となるのは、ひと様と意見を交わすときである。ものを言おうとすると、まず泪が出る。声が上ずる。思考が混乱し途中で思考を退けて迎合してしまう。他にもまだある。その結果はこの句の通り」と。が、このコメントは額面通りには受け止められない。なにしろ魑も梟も俳句の朋としているのだから。 大石悦子の俳句世界は、ひとことで言えば俳句の気息のよろしさに尽きるだろう。石田波郷が提唱した俳句の「風切論」を直接聞く機会はなかったと振り返っているが、石塚友二に継承された「鶴」の韻文精神はこの俳人にも脈々と受け継がれている。<芋を煮よ小半酒をあたためよ><立つたまま死にたし色鳥あまた撒き><掻膝(かいひざ)をほどきゆらりと山櫻><寒林の樗櫟(ちょれき)となりて鳥呼ばむ>。俳人協会賞自祝と前書のある、<玉蟲を瑞兆とせし一椿事>の含羞をはぐらかした一句も、この人ならではの自祝である。 写真 荒川健一 |
評 者 |
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備 考 |
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